デザイナーのための知財10問10答|第8回 トレースは手書きであれば問題ないか
第8回 トレースは手書きであれば問題ないか
人の身体、姿勢、動き、服装、物の外観、街や建物の背景や構図などを写真から「トレース」してイラスト化したり、CG化するということがよく行われます。「トレース」の定義は様々です。もともと資料の上に別の紙を置いて透かし、それをなぞって写し取る行為を言いましたが、コンピューターが普及した現在ではアプリケーションを利用して写真から線や図を抽出する行為やコピー&ペースト行為を含む、幅広い概念に変容しているように思われます。
トレースにおいてもっとも多い誤解は、写真等から手書きでトレース(ここでは模写に近い意味で使われているように思われますが)すれば、著作権侵害は成立しない、というものです。しかし、これは間違いです。写真も著作物であり、他人の著作物である写真に依拠して、その特徴を感得できる形で複製あるいは翻案すれば著作権侵害が成立するおそれがあります。写真の創作性は、被写体の配置、構図、露光、色彩の配合、被写体と背景とのコントラスト、レンズ・フィルムの選択などに認められると考えられていますが、そのような写真に存在する創作的な表現上の特徴(被写体の配置、構図、露光、色彩の配合、被写体と背景とのコントラストなどの諸要素)が、手書きされたイラストであってもその中で感得できれば、著作権侵害が成立するのです。もちろん手書きの方が手書きをした人の味や手癖が出ることにより、新たな創作性が付加され、別の新しい表現になっている場合には著作権侵害が成立しないということがありえます。その意味で、コンピューター・グラフィックス上で図や線のみを抽出したり、CG化する場合よりは、著作権侵害が成立しづらくなるとは言えるのですが、「手書きトレースであれば著作権侵害にならない」というのは都市伝説なので、ご注意ください。特に納期が迫っている場合や、クライアントから「これっぽくして」と写真や画像等の素材提供をされたような場合には注意する必要があります。実際に、アマチュア写真家が撮影した祇園祭の風景写真をもとに作成された水彩画が写真の著作権(翻案権)を侵害すると認定された裁判例もあります。
なお、上記写真の創作性には、被写体の選択・決定自体は含まないという考え方が有力です(そのような判断を下した裁判例として「廃墟写真事件」があります)。したがって、写真の被写体とそれを参考にして作成したイラストの主体が同一であるのみでは著作権侵害は成立しないと考えてよいでしょう。
手書きトレースの問題で記憶に新しいのが、藝大生が描いた虫の交尾を精緻な絵とユニークな解説を交えて紹介した『昆虫交尾図鑑』が、ネット上で公開されている写真からトレースしたものではないかという声が上がり、作者である藝大生がそれを認め、謝罪してニュースになった件がありました(出版社は著作権侵害は成立しないと反論しています)。
左:長谷川笙子『昆虫交尾図鑑』(飛鳥新社)
右:女子藝大学が描いた「昆虫交尾図鑑」が写真のトレースではないかと話題に
https://matome.naver.jp/odai/2138642307212674001
元サイト(KabuKabu V2より):https://mushinavi.com/kabukabu/brd-mcau2.htm
このトレースによる著作権侵害を避けるためには、著作権的に問題がない素材集などを活用する方法があります。また、トレースする写真素材を1枚だけでなく、同じ人や街並み、物を撮影した写真の別アングルや、日時や撮影者が別のものを複数枚参考にして作成する、という手法も有効です。たしかに手間はかかりますが、これにより、より臨場感がある、空間的なイラストにもなります。デジタル/インターネット技術の発達により、様々な画像を容易に「トレース」することが可能になりましたが、便利さだけを追求すると表現が平凡になるだけでなく、このような法律上の落とし穴があることにもご注意ください。
水野 祐 (みずの たすく)
弁護士(シティライツ法律事務所)。Arts and Law理事。Creative Commons Japan理事。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(リーガルデザイン・ラボ)。グッドデザイン賞審査員。IT、クリエイティブ、まちづくり等の先端・戦略法務に従事しつつ、行政や自治体の委員、アドバイザー等も務めている。著作に『法のデザイン −創造性とイノベーションは法によって加速する』(フィルムアート)、『オープンデザイン参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』(オライリー・ジャパン、共同翻訳・執筆)など。
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