クリエイターインタビュー前編|笠松宏子(ライター・Webディレクター)
多くのクリエイターさんとの出会いが、大きな刺激になりました。
フリーランスのライター、ディレクターとして、Webメディアを中心に活躍する笠松宏子さん。大学卒業後、東京で塾の受付事務をしていたという彼女は、どうしてクリエイティブの世界に飛び込んだのか。これまでの経緯を辿りながら、その理由を伺いました。
―現在、クリエイティブ分野の多方面でご活躍されていますが、もともと興味があったのでしょうか?
そうですね。高校では理数情報コースに通っていて、チカチカした文字が左から右に流れるような簡単なホームページを作ったりしていました。また、当時NHKで「デジスタ」「トップランナー」といったクリエイターさんが出る深夜番組があって、それを夜中によく見ていましたし、映像作家さんが載っているような雑誌を学校の休み時間に読んだりしていましたね。あとは小さい頃から絵を描くことが割と得意で、中学時代の写生大会では3年間、校内で最優秀賞をもらったりしていました。なので「美術大学に行きたい」という憧れはありましたが、親がそうしたクリエイティブの分野に理解を示さなかったので、このような仕事に就くことはないんだろうな、と思っていました。
―大学卒業後は、東京で就職されたとお聞きしました。
大学までずっと実家で暮らしてきたので、自立して1人でどこまでできるか試したいという気持ちがあったんです。それで、東京で就職活動をして、大学卒業後は中学受験の塾の受付事務として働きました。受付事務といっても、テキストの仕分け作業をしたり、保護者へのお知らせを作ったり、子どもたちのトラブルに対応したりと、総合職のような仕事内容でしたね。職場も先輩は良い人ばかりだったし、同期とも仲が良くて、プライベートでよく遊んだりもしました。富士山に登ったり、ラフティングをしたり、アウトドアの趣味も楽しみました。
―仕事も順風満帆だったとは思いますが、どうして仙台に戻られたのでしょうか?
もともと父親に持病があって、東京にいたときもたびたび実家に帰ったりしていました。親戚も高齢だったので、そうした心配もありましたし、年齢的にも自分が好きなことをする最後のチャンスかなと思って、塾の先輩に相談してみたら「もし仕事で行き詰ったら、また東京に戻ってきたら」と言われて、仙台に戻ることを決めたんです。仙台に戻ってからは、京都の造形芸術大学の通信教育部に入学し、イラストレーションの勉強をしていました。仕事はせずに、ダラダラ寝ながら漫画を読むような毎日を過ごしていたら、母親から「いいかげん仕事したら?」と怒られてしまって…(笑)。それで、姉から求人があることを教えてもらって、仙台市役所の産業振興課で臨時職員として働くことになりました。
―そこではどのようなお仕事をされたのでしょうか?
クリエイティブプロジェクトを一緒に考えたり、イベントの準備をしたり、あとはFacebookやホームページの更新も担当させてもらいました。臨時職員は任期が決まっていたので、そこで1年間務めた後は、仙台市産業振興事業団の嘱託職員として働かせていただきました。そこでは主に「暮らす仙台」(https://www.siip.city.sendai.jp/kurasusendai/)という新しいWebメディアを立ち上げから担当させてもらい、企業の商品をホームページやSNSを使って宣伝しました。他にも新東北みやげコンテストでは、イベントで張り出すポスターを作成したり、運営を手伝ったりしました。
―当時の経験は、今の基盤になっているのではないでしょうか?
そうですね。手探りではありましたが、いろいろな経験をさせてもらえましたし、デザイナーをはじめ、いろいろなクリエイターさんと出会うことができて、大きな刺激になりました。また、2018年から1年間は「株式会社ラナエクストラティブ」というクリエイティブカンパニーに勤務しました。この会社はWeb制作をメインで行っている会社なのですが、有名な広告代理店の仕事や、コンペにも参加させてもらって、「広告をつくるってこういうことか!」と勉強になりましたし、昔から憧れていたクリエイティブの世界を実際に体感することができてうれしかったです。また、この会社では行政関係にも携わっていて、仙台市の「SENDAI INC.」(https://sendai-inc.com/)、丸森町の「まるまるまるもりプロジェクト」(https://marumarumarumori.jp/)などの仕事にも関わらせてもらいました。
―それからどのようにしてフリーランスに転身されたのでしょうか?
その会社では副業も可能だったので、当時から会社で請け負った仕事以外にも、地元の企業さんと一緒に仕事をしていました。そこで感じたのが、東京と仙台での認識の差。たとえばWebサイトをつくるにしても、東京と仙台だと金銭感覚が全然違うんです。もちろん、クオリティーは上がるけど、宮城の中小企業さんがそこまでの額を払えないし、企業の本当の悩みはそこじゃなかったりする。他にもギャップをいろいろと感じてしまって…。それに、自分自身がなかなかスピードを持って仕事に取り組めないことで、会社に迷惑がかかり、企業さんが納得するものをつくれていないのではないかと悩んでいました。なので、今はフリーランスになったほうが、自由にいろいろと活動できるのではないかと思い、決断しました。
笠松宏子(かさまつ・ひろこ)
仙台市出身。東京で中学受験の受付事務を経て、現在は仙台在住。行政でのWebメディア企画運営や広告・Web制作会社での経験を基に、現在フリーランスとして活動中。仙台のWebメディアを中心に、ライター、イラストレーター、ディレクターとして幅広く活動を行っている。寝ることが大好き。