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震災とクリエイター① 前編|安藤歩美(TOHOKU360 代表)× 井上きみどり(取材漫画家)

特集「震災とクリエイター」では、東日本大震災という出来事に、さまざまなかたちで関わり続けているクリエイターのみなさんをご紹介するコーナーです。被災地に寄り添い出来事を伝える方、荒浜という土地と向き合い活動する方、クリエイティブに挑むそれぞれの現在地をお伝えします。

出会った人たちの言葉と感情に向き合い、駆け抜けた11年間

子育てが落ち着いて、漫画家から取材漫画家へと転身した井上きみどりさんと東京で官僚を目指す中で東日本大震災を機に、新聞社へ就職したTOHOKU360代表・編集長の安藤歩美さん。お二人はこれまで、震災を扇情的に伝えるのではなく、出会った人たちの言葉や感情を丁寧に伝えることに力を注いできました。ここでは、既存のジャーナリズムでは拾いきれない「空白」を追い続けた、それぞれの11年間を振り返ります。

― 安藤さんと井上さんは、被災地域で耳にした言葉やそこで活動されている方々を記事と漫画で伝えてこられましたが、「伝える」ことに難しさやもどかしさを感じたことはありますか?

安藤:私は井上さんの漫画をブログで拝見していて「漫画は感情を表現するものだから」という言葉が、すごくしっくりきました。言葉で伝えられないものを伝えられることができるのは本当に素晴らしいなって。記事にしてしまうと、感情をストレートに伝えることは難しい問題です。

井上:ありがとうございます!でも私もいまだに、東北弁や地元の言葉を書き起こすと「これじゃ千葉弁だよ」といった、ダメ出しをされてしまいます。(笑)

安藤:私は千葉出身なので、その感覚わかります。「だっぺ」とか。(笑)

井上:知り合いの方に方言指導をお願いしていますが、地元の言葉はやはり難しく感じます。

― 方言やイントネーションの違いは、なかなか慣れませんよね。井上さんは、取材漫画家として作品をつくりながら商業誌への寄稿もされていましたが、「リタイア宣言」をされて辞められたのにはどういった背景があったのでしょう?

井上:リタイアといっても、辞めたのは商業誌の漫画です。もう30年近く続けていましたから。「いい加減ちょっと休みたい」と、リタイア宣言したのが2年前。それでも漫画を描くことは続けていたので「リタイアしたんじゃなかったの?」とよく突っ込まれました。(笑)

安藤:長く続けることは、何事も大変ですよね。

井上:数字とか、部数とか。そういうことを言われないで描ける場が、当時の私には必要でした。
それと広島の両親の介護を終え、仙台に戻ったタイミングでしたので色々と思うところがあったんです。「やっぱり、人生って短いな」と改めて感じましたね。私自身もういい歳ですし、体力にも限界を感じていたんですが、プライベートでもやり残したことがあり、この際やり尽くそうと決めました。ついでに、バイクの免許も取り直しました(笑)

きみどりBOOK Café 下書き劇場vol.18『50代女性のバイク教習チャレンジ』①より

― 教習所エピソードの下書き劇場を私も拝見いたしました。切なくも面白かったです。何かを変えるタイミングは人生の節目節目にありますよね。安藤さんは就職を機に、東京から仙台に来られたのですか?

安藤:就職もきっかけの一つではあるのですが、東日本大震災後にボランティアで来たことが最初でした。震災がなければ、ご縁はなかったと思います。
就職したのは産経新聞社で、配属先がたまたま仙台支社になったんです。面接の時に記者を目指した理由としてボランティアでのことを話したので、会社側が汲み取ってくださったのではないかと思います。

井上:そうだったのですね。記者の仕事には、震災以前から興味があったんですか?

安藤:興味はありましたが、職業としては考えていなかったですね。もともと私は官僚になりたくて東京大学公共政策大学院に進んだのですが、国家公務員試験を受けるタイミングで東日本大震災が起きて、仕事への価値観が変わりました。
それまでは、東北に全く縁はなかったのですが「すごく大変なことになったな」ということは分かったので、長期休暇で女川に行ったりして宮城との接点ができはじめました。そこで目にしたこととか出会った人からの影響で「伝える」職業に携わりたいと思ったんです。
被災地の現場で懸命にたくましく生きている人たちの姿をみて「これまで私なりに社会問題を考えていたつもりだったけど、血の通った考え方をしていなかったんだな」と反省しました。

井上:官僚を目指していたんですね。現在のお仕事は新聞社を辞めてから、はじめられたのですか?

安藤:事業を立ち上げるまではウェブニュースの記事を書いたりしていました。当サイト(TOHOKU360)を立ち上げようと思ったのは、新聞社を退職してから1年経たないくらいです。

井上:一年経たないうちに!?その実行力、尊敬します。

安藤:恐縮です。でも何も考えずにでした(笑)

― 勢いは時に最大の武器になりますね。井上さんはどうして漫画家に?

井上:私も安藤さん同様に、はじめは漫画家を仕事にするつもりはありませんでした。本当は、デザインの仕事がしたかったんです。絵を描くのはそれほど好きではなかったし「何かを作り上げる仕事ができたらな」と思い、デザイン会社を回ったけれど経験者の求人しかなく断念しました。
そんな中、漫画好きの友人から「漫画家のアシスタントもデザインの仕事と同じようなものだから」と言われるがまま、アシスタントに応募。思いの外、すんなり採用していただき未経験のまま、東京で漫画家の専属アシスタントをはじめました。

安藤:デザインとはまた違う気がします。(笑)

井上:その時は、なんか納得してしまったんですよね。そのあと4年ほど勤めて、25歳の時に先生から「そろそろ自分で漫画を描いたら?」と促され、渋々漫画を描くようになりました。そして1991年にデビューして、育児を題材とした処女作が第1回YOU漫画大賞を受賞した時は驚きました。
私が漫画家になったのは本当に偶然だし、育児漫画もたまたま。出産で少しお休みしていた時に、育児中の漫画家として私に声がかかったんです。その頃、育児漫画が全盛期で、集英社さんの雑誌から「3回でいいから!」と言われて。それが、育児エッセイ漫画『子供なんか大キライ!』となって、結局11年間描くことになりました。

きみどりBOOK Café バックナンバーの棚より

― 安藤さんがニュースサイト『TOHOKU360』を立ち上げようと思ったのは、なぜですか?

安藤:東北の独創的な文化や生活様式と美しい風景や人々の生き方に出会い、日々心を動かされてきました。また、新聞記者になって東日本大震災後の被災地を取材する中で、東北は日本や世界全体が考えなければならない普遍的な社会課題を抱えている場所でもあると感じたのです。

井上:私も、東北から課題解決の糸口を導き出していけたらいいなと思います。

安藤:本当、その通りですよね。でも、そうしたニュースの種が多々あるのにも関わらず、プロの記者やマスメディアだけでは十分にそれを発信できていないのではないか、と思っていました。
その要因は、マスメディアなどのプロの記者の数と行動範囲が限られ、知人や報じるべきとされる話題がどうしても限定されてしまうためです。そのため、プロがアクセスできない地域の情報や話題は巨大な「情報の空白」となって、ぽっかり抜け落ちてしまっていました。
ならば「東北各地の現状を誰よりもよく知る住民が主役になり、ニュースを発信できるような仕組みができたら、情報はもっと豊かになる」と思い立ったのです。
そんな思いから、住民自身が現場の最前線からニュースを発信するニュースプロジェクトとして、当サイトを始動しました。

TOHOKU360 SOCIAL / LIFEより

― とても面白いプロジェクトですね。なぜ紙媒体ではなく、ウェブメディアに?

安藤:紙面では限られた枠の中で、情報を表現して伝えなければなりませんが、ウェブメディアであれば表現の幅と量は制限がないので、そこに可能を感じました。また、マスコミはセンセーショナルなところを求められてしまうことがあり、そういう意味でも情報を伝えきれていないと思っていたのです。
でも、純粋に会社員が肌に合わなかったというのもあります。(笑)

井上:適材適所ですからね。それにしても、退職されてから物凄いスピードで駆け抜けてきた11年でしたね。

安藤:考える間もなく行動していた感じなので、偉そうなことは何もいえないです。(笑)

― 井上さんは出産時にお仕事をお休みされて、育児漫画で復帰されました。育児をしながらの仕事、大変だったのでは?

井上:もちろん大変ではあったのですが、それ以上に多くを犠牲にしました。それは子どもたちのことです。授業参観をはじめ、子どもが成長している姿を見る機会には立ち合えなかったことが多かったので、本当に心残り。それに「私のダメダメな育児事情を露呈するだけの漫画を描いていて、本当にいいのだろうか」と葛藤する11年でもありました。

安藤:そんなことないです。井上さんの漫画を読んで、気持ちが救われた子育て世代の人たちがいたからこそ、連載が続いたのだと思います。育児漫画はどのタイミングで卒業することになったのですか?

井上:子どもが手を離れたあと、育児漫画から卒業することになりました。

― 育児漫画からの卒業を皮切りに、取材漫画家へ転身されたのですね。

井上:そうですね。育児漫画を卒業するタイミングで、単行本18冊と文庫本9冊を出していただき累計で100万部売れたようなのですが、今でも実感が湧かず。(笑)
それでも、折角いただいた貴重な機会だったので「何か社会に役立つものを発信できるのではないか」と思い、取材漫画家になりました。そうして最初に描いた漫画は、女性の病経記を取材した『オンナの病気 ホントのトコロ』です。

安藤:この病経記の最終回を描かれているときに、東日本大震災が起きたと聞きました。

井上:最終回を描いたあとでしたね。それ以降の予定は決めていなかったので「被災の物語を描きたい」と思い、それから1ヶ月半ほど岩手と宮城を取材で回りました。

― 安藤さんと井上さんは「機運が変わった」と肌で感じたのは、いつ頃からでしたか?

安藤:「意味のある活動」と思われはじめたのは、本当に最近のことかなと感じています。

井上:私もそうですね。安藤さんはサイトを立ち上げた当初、周りの反応はどんなものでした?

安藤:私は新聞記者をしていたとはいえ、よそ者で宮城に知り合いも友達もいなかったので「よく分からない奴が、何かしているな」と思われていたんじゃないかと思います。(笑)
それでも何度か住民の方に向けてスクールを開いていくうちに賛同してくださる方が増え、プロじゃない人(住民)が情報を伝えることの意味が、だんだん理解してもらえるようになってきた気がします。NHKのラジオ番組やテレビ番組から声をかけていただき、はじまったお仕事もあります

NHKラジオ第一「にっぽん列島夕方ラジオ ゴジだっちゃ!」収録の様子

― 「続けること」で、見えてくるものや必要とされることが増えたりしましたか?

井上:私は最近になって、取材漫画家になってよかったと思いはじめています。「続けることって、すごい力になる」と言ったらちょっと違うのだけれど…。

安藤:信頼されるようになる?

井上:そうですね。それもありますし、何よりも私自身を信頼してあげられるということでしょうか。そんな感覚ありませんか?

安藤:私自身を信頼…。思考の軸みたいなことですか?

井上:私がやってきたことや悩んできたことなど全てが「意味があったんだろうな」と思えるようになりました。辛いことも多いんですけどね。(笑)

安藤:(無言で頷く)

― 安藤さんは編集長という立場上、ライターさんたちの記事を校正しなければならないから大変ですよね。

安藤:「好きなときに好きなように取材して、原稿を送ってください」という、とてもフリーダムなウェブメディアなので、そこまで大変ではないです。
大変というよりは、カオスだなと感じることが多く「偶然の産物」との出会いが生まれたりするのを楽しんでいます。住民の皆さんと知らないものを持ち寄って、どんどん膨れていく怪獣みたいな感じですね。

井上:多様な人たちが創り出す「怪獣」!

安藤:皆さん、本当に個性的で趣味全開です。(笑) 猫好きの20代の通信員がいて、地域猫の問題などをジャーナリズム的な視点でずっと追っています。ある時は、広島まで行って保護猫活動している人のインタビューをとってきたりもするんです。その熱量にはいつも感服してしまいます。
そうした住民の皆さんの関心が、メディアとしての幅を広げてくれているんです。何が起きるかわからないけれど、そこに面白さがあるんだと確信しています。

TOHOKU360 SOCIAL (2019.9.25) より 被災動物を救い続けた「犬猫みなしご救援隊」|震災とペット(上)

安藤:井上さんは荒浜の漫画をよく書いていらっしゃいますが、荒浜には面白い方が集まっていますよね。

井上:そうなんですよね。「ここで何かやりたい」という目的は同じだけど、やることは皆さんそれぞれ。それが2年3年、4年5年と続いて、いつの間にか「荒浜の人」になれてしまうから不思議で魅力を感じます。私がふらっと荒浜に取材へ行き、たまに漫画を描かせていただくけれど、この人たちには敵いませんね。
何かのため、被災した人を助けるためではなく「私はここにいたいから、これをやりたい」と、肩肘張らずに自然体でやっていく人たちの力に、私はものすごく圧倒されています。

きみどりBOOK Café「図書の棚」より

― 安藤さんと井上さんが「伝える」仕事をする上で、大切にされていることを教えてください。

安藤:なんでしょうね。やはり「続ける」ことが一番大事です。ベンチャー企業で勢いつけてやる、というような方法もあるのでしょうが、一番はクリエイター自身のモチベーションが全てなので、その中でいかに続けられるか。
当サイトは、プロではなく市民メディアなので一人一人の視点が「こんな発見があるの?」という新鮮な情報を持ってきてくださり、それがすごくモチベーションになっています。
井上さんはどうですか?

井上:割と早い段階から「フィルターをかけない」ということを意識しています。私たちはいくらでも都合良くまとめることができる一方で、一歩間違えてしまうと当事者のストーリーにはならない気がして。私感をどれだけ殺せるか、当事者のことをどれだけ伝えられるかというのを一番に考えていたいです。
その点、漫画は「感情」を描くものなのでそれを実現させることができるんですよね。そこに気がついてからは、描くことに手応えを感じていきました。以前「ジャーナリスト」と呼ばれたことがあり、今もそれは否定しているんですよね。代弁者ではなく、当事者の言葉を代わりにどこかの「場」へ出す役目があるのだと思っています。

取材日:令和3年10月29日

取材・構成:太田 和美
撮影:小泉 俊幸

前編 > 後編

安藤 歩美(あんどう・あゆみ)

「TOHOKU360」代表・編集長。1987年千葉県生まれ、仙台市在住。東京大学公共政策大学院修了後、新聞記者として宮城県に赴任し、被災地の復興を取材。独立後2016年に東北の住民みんなでつくるニュースサイト「TOHOKU360」を立ち上げる。毎週木曜日にNHKラジオ第一「ゴジだっちゃ!」とNHK仙台「てれまさむね」に出演中。

TOHOKU360 https://tohoku360.com

井上 きみどり(いのうえ・きみどり)

取材漫画家。関西生まれ、広島育ち。仙台在住。1991年、第1回YOU漫画大賞で漫画家デビュー。震災復興、福島の問題、女性と子どもの医療、国際協力、ジェンダーなどをテーマに作品を発表。2020年2月より「自由な場で自由に描く」を方針として活動中。
著作一部抜粋 「半ダース介護」「わたしたちの震災物語」「オンナの病気をお話ししましょ。」「マンガでわかるコドモの医学」(全て集英社刊)

井上公式サイト 「きみどりbook café」
「きみどり文庫」 https://www.kimidori-inoue.com

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