クリエイターインタビュー前編|小林 知博(デザイナー/株式会社コミューナ)
デザインは人と一緒につくっていくものなんだと思います。
株式会社コミューナにデザイナーとして所属する小林知博さん。宮城県内の自治体や企業・団体と関わり、地域文化に関するさまざまな制作物を手がけている彼だが、それぞれが持つニーズや思いと、自身のデザインをどう結びつけているのだろうか。実際の取り組みから、仕事の手法や姿勢を読み解いてみたい。
—はじめに、株式会社コミューナでのお仕事について教えてください。
弊社は、「翻訳」「マーケティング」「デザイン」という3つのフィールドを軸に、東日本大震災が起こった2011年に立ち上がりました。主にこれらを組み合わせた事業を展開していて、僕はデザイナーとして、外国人向けの観光パンフレット、企業の広報物・ロゴなどを手がけています。
—元は建築を学ばれていたそうですが、デザイナーの道に至るには、どんな経緯があったのでしょうか?
東北工業大学の建築学科に大学院まで通い、卒業後の約2年間は設計事務所に勤めていました。でも、向いていないとわかって辞めたんです(笑)。それから1年くらいは好きなことをして過ごしていたのですが、ある日街なかを歩いていたら、弊社代表の齋藤と偶然出会いまして。コミューナが立ち上がる前に、僕がインターンでお世話になっていたデザイナーの渡邊武海さん(LLPメディア・ストラータ代表)と齋藤代表がシェアオフィスを構えていたこともあり、もともと面識はあったんですね。それがきっかけで、後日「Illustrator(*1)使えるよね?」と連絡が来て。そのときはアルバイトで声をかけてもらったのですが、後にデザイナーの枠で、正社員として入社することになりました。
*1 Illustrator…アドビシステムズが開発したグラフィックデザインのソフトウェア。
—不思議な縁を感じますね。Illustratorは大学で学ばれたんですか?
ひと通り使い方を覚えたのは学生時代ですね。所属していた建築サークルの中で、イベントのポスターなどをつくるために触ったことはあって。あとは、4年時から大学院時にかけて、新潟県十日町市の芋川という集落に行って、村の集会所と、地域文化を発信するフリーペーパーをつくるプロジェクトに携わっていたんです。そこでデザイン指導をしてくださっていたのが武海さんで、みんなで村の人に聞き取りをして原稿を書いたり、イラストを描いたりしながら、それらを紙面に起こす作業をしていました。
—実践的に技術を身につけていったんですね。
そうですね。今思うと、ソフトの使い方を覚えるだけでなく、デザインという仕事自体に触れる機会でもあったかもしれません。
—これまでのお仕事をご紹介いただけますか?
2017年あたりから、大崎市鳴子温泉にある桜井こけし店(*2)の海外販路開拓をはじめとしたサポート事業を行っています。今までに海外向けのロゴ、ブランドブック、見本市のブースデザインなどを手がけ、次第に国内でも商品カードや催事のフライヤーなどをつくるようになりました。事業の状況に応じて、必要なものをすこしずつ考えていって。
*2 桜井こけし店…江戸時代から鳴子温泉郷でつくられてきた伝統工芸品「鳴子こけし」の工房兼販売店。創始者といわれる大沼又五郎より代々こけしづくりを受け継ぎ、現在は、5代目の櫻井昭寛と6代目の尚道が、伝統の技と表現を結びつけながら制作を続けている。
―こけしのヴィジュアルが引き立って、シリーズ感があります。
桜井さんのこけしは、作品としてヴィジュアルに力があるので、デザインする際はこけしそのものやこけし絵などを生かして、シンプルに見せるように意識していますね。あと、2014年から関わった、『きたかみをおもしろくする提案書』も印象に残っている仕事です。本誌の制作に携わっていたWE ARE ONE北上(*3)から、「“地域をこうしていきたい!”という思いやアイデアが、子どもから高齢の方までみんなに伝わるようなものにしたい」と要望をいただいて。この仕事で感じたのは、デザインは人によって捉え方が違うんだなということです。当時僕はまだ、デザインをかっこよくて洗練されたものだと思っていたのですが、地域と関わっていくうちに、町の人たちが読みたいものはどんなものだろう?と考えさせられました。
*3 WE ARE ONE北上…東日本大震災により壊滅的な被害を受けた石巻市旧北上町を拠点に、地域の人々とともに、「コミュニティー・なりわい・集落」を3つの柱に活動する団体。
—中面のマップにある「私たちの北上を語ろう!」という言葉も、とても率直な印象です。
このプロジェクトは、週1回の定例会議を開くところからスタートしたんです。僕も毎回参加していて、仙台のオフィスで仕事が終わってから石巻に向かい、夜中に帰るというのが数ヵ月続いたんですけど(笑)。みんなで何をやっていきたいか話し合い、それを僕がホワイトボードに書き出していって。
—ワークショップのようなこともされていたんですね。
はい。雑談から地域の伝承、北上の魅力といった話まで、幅広く意見出しをしましたね。それから、仙台・宮城ミュージアムアライアンス(*4)参加館の外国人向け紹介パンフレット『The Sendai Museum Experience』もすごく思い入れがあります。これまで3号出ているのですが、特に2015年に制作した1・2号は、僕がコミューナに入社して、初めて自分で一からデザインを考えた仕事で。外国人の方の視察アンケートとインタビューをもとに、紙面をつくりました。
*4 仙台・宮城ミュージアムアライアンス…仙台・宮城の文化施設が連携し、各館が持つ地域の知的文化資源を、市民が効果的に活用するためのネットワークをつくることを目指す組織。仙台うみの杜水族館や3.11メモリアル交流館などをはじめ、17館が参加している。
―生の声を生かして。
そうです。視察に行った方たちが、印象に残ったことを自分で手帳に書き綴ったようなイメージにしたくて。背景には各館にまつわる物や風景を置いて、雰囲気を感じられるようにしています。例えば、1号の仙台市縄文の森広場はどんぐり。スタッフの方に「どれを撮ったらいいですかね?」とお聞きしたら、たまたまざるいっぱいにどんぐりが入っていたんですよ。それで、「これにしましょう!」と。ヴィジュアルの着眼は、やはり館に馴染みのある方に伺ったほうが、“らしさ”が浮かび上がるんですよね。
―デザインもですが、協働したり、コーディネートしたりする役割も担われているのだなと感じました。
学生時代も設計事務所に勤めていたときも、とにかくヒアリングすることを教えられてきました。要望を聞きまくれと。そして、聞いたことをいっぱい書き出して、できるかぎり案に取り入れなさいと。それが今の仕事に生きている気はしますね。やっぱり、デザインの初案を出して「これで完成です」というわけではないじゃないですか。提案して、そのときの反応をもとにまた考える。デザインは人と一緒につくっていくものなんだなと、仕事を続けていく中で思うようになりました。
取材日:令和元年7月22日
取材・構成:鈴木 瑠理子
撮影:小泉 俊幸
前編 > 後編
小林知博
1986年宮城県多賀城市生まれ、大崎市鳴子温泉在住。
東北工業大学大学院工学部建築学科修了。2014年より株式会社コミューナに入社し、デザイナーを務める。地域や企業の魅力を受け手に伝わるヴィジュアルに「翻訳」するデザインを心がけている。