パルサー(前編)「なぜこんな目に」苦難続きの事業承継から、固めた覚悟
自動券売機・自動販売機の販売をメインにウェブ事業やDTP事業を展開する株式会社パルサー。代表取締役の阿部章氏は、起業を目指しベンチャー企業で経験を積んでいた最中、父親が倒れたことで突然会社を継ぐことになる。待ち受けていたのは、メイン顧客の倒産、仕入れ先メーカーの撤退、価格競争による利益率減少という苦難の連続。それでもネット販売に活路を見いだすと、会社が求められる役割を見つめ直し、あらためて覚悟を固め、成長への一歩を踏みだした。
「なぜこんな目に」苦難続きの事業承継から、固めた覚悟
−阿部社長は2代目となりますが、会社を継ぐまでの経緯をお聞かせください。
阿部章社長(以下、阿部) 父親がこの仕事を始めて、祖父も個人事業の板金屋さんでしたから、高校の頃から起業したいという気持ちを持っていました。大学時代にアルバイトでいろいろな会社を見て、将来起業することを考えると経営まで見える小さなところで働いた方がいいだろうと、横浜にある技術系のベンチャー企業に就職します。社員が20人ぐらいの時に入って5、6年で60人ぐらいになるまで成長する真っただ中にいたので、そこでいろいろな経験を積ませてもらいました。
そんな時に2008年、父親が脳梗塞で倒れてしまい、右半身と言葉が不自由になってしまいました。会社をつぶすか長男の自分が戻って継ぐかという選択に迫られ、集中治療室に入っている父親の姿を見て決心し、仕事を辞めて帰ってきました。
−その時は、事業の可能性も感じていたんでしょうか。
阿部 保守メンテナンス契約をしていた1社だけで年間700〜800万円の売り上げがあり、そのほかに券売機を販売した分のマージンが取れるので、自分1人でやるには十分かなと見積もっていました。ところが帰ってきてみたら、その大口契約の会社がつぶれていた。一気に700〜800万円の売り上げが消え、全体の7割を依存していた利益もなくなり、まさに急降下です。
さらに、代理店契約をしていたメーカーさんに後を継ぐことになったとあいさつに行ったら、自動券売機事業から撤退することを告げられました。「若いから何でもできるよ、頑張って」と励まされて、「そ、そうですか…」みたいな(笑) メインのお客さんとメーカーさん、卸売業の仕入れ先と売上先が一度になくなってしまったんです。
−商売が成り立たなくなってしまいます。
阿部 一方でいままで販売したお客さんも残っていました。ところが顧客リストもカタログも整備マニュアルも何もない。あるのは父親の携帯電話一つだけで、その携帯電話も電話帳には何も入っていませんでした。全部父親の頭の中に入っていたんです。その父親はしゃべれなくなっているので、お客さんが誰なのか分からない。知らない番号から電話がかかってきて、出てみたら「仙台市役所の食堂ですが」と言われて、初めて「ああ、うちのお客さんなんだ」と分かる。その繰り返しでした。
故障やトラブルが起きると券売機に貼ってある電話番号にかけてきてくれるので、お客さんの元に駆け付けるんですが、見たこともない券売機がそこにあるわけですよね。取りあえず機械を開けて、マニュアルを借りて、見ながらどうにか直してみる。「直りました!」と言って動かしたらバチッと音がして、修理に行ってとどめを刺して帰ってくるようなこともありました(笑)。
−その頃はどんな気持ちで毎日を過ごされていたんでしょうか。
阿部 とにかく必死でしたよね。いまだから笑い話ですけど、なぜこんな目に遭わないといけないんだ、というのが本音でした。それでも目の前のお客さんが困っているから、電話が鳴ったらとにかく行って、できることをする。ベンチャーの時に何でもやってきた経験があったので、何とかなるんじゃないかという気持ちもどこかにありました。
でも、紙幣改札(2004年)後の冷え込みやリーマンショック(2008年)などの外部環境も重なって、本当に大変でした。競合他社がネット販売をやり始めたことも大きかったです。父親の時代は、適正価格で販売し、やっていけるだけの利幅がとれていました。でもネット販売で、粗利が事業を継続していけないくらいまで値崩れしていきました。
−メインメーカーの撤退後、卸売りする商材の仕入れはどうされたんですか。
阿部 新しいメーカーさんにコンタクトを取って扱わせてもらえたんですが、最初なので高いんですよね。また、それまでは代理店に全部回してくれていたんですが、ほかのメーカーさんは直販もしていて、お客さんのところでバッティングすることもありました。うちに出している金額でメーカーさんも出すので、どうやっても勝てない。そんな中でうちもネットをやらないと駄目だと思い、通販サイト「券売機JP」を作りました。
−ネット販売に活路を見いだしたと。
阿部 どうにか稼がないと本当につぶれてしまうような状態だったので、なりふり構わず何でもやった、というのが正直なところです。でも、そこでまたちょっと困ったことが起きました。制作をお願いしていた会社が倒産してしまって。
−泣きっ面に蜂ですね…。
阿部 すでに入金を済ませていたので、もうどうしようかと。でも幸い、担当だった方が個人でそのまま引き継いで仕上げてくれることになり、何とかスタートできました。
それでとにかくSEOに引っ掛かるようにしなければいけないと思って、新品を売っても勝てないので、中古でいこうと。中古、券売機、仙台の組み合わせで検索したときに上に来て、問い合わせを頂けるように対策しました。そこから少しずつお客さんが増えていって、その頃には機械のことも覚えてきて修理対応もできるようになっていました。
−やっと軌道に乗ってきて。
阿部 でも、その先どうするかは悩んでいました。大手メーカーも撤退するほどの業界にそのままいて本当にいいのか、そこに将来はあるのかという葛藤がありました。
その時に中小企業家同友会の先輩から「何も知らないから不安になるんだ」と言われて、遅ればせながらいろいろと勉強し始めて、ほかの業界の動きも見て感じたのが、「代理店としての役割が変わった」ということ。昔だったらメーカーは直販をしないで各地に代理店を置いてサポート対応を任せていましたが、いまは機械もそうそう壊れないし、代理店の役割が段々となくなってきている。違う役割をつくらなければいけないことに気付きました。
あとは自分自身の覚悟ですね。取りあえず目の前のことを一生懸命やってはいたんですが、何でこんなことをしなきゃいけないのかと。時代が悪い、親が悪い、業界が悪いなんて思いながらやっていました。自分が決めてやっていることなので、突き詰めれば自分が悪いんですが、なかなかそれを飲み込めなかったんです。でも、自分が悪いのを認めて、だったら自分が何とかするしかないというところにやっと立って、そこから少しずつ状況が変わっていきました。
株式会社パルサー
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株式会社パルサーは、「できたらいいね」を実現しますというMISSONに向けて、人口減少という社会課題に対して、自動券売機、自動販売機、セルフレジなどの人の代わりをする機器やシステムの販売・リースレンタル・カスタム・メンテナンスを全国に展開しています。関わる全ての人が幸せになれる会社を目指しています。
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