Article 記事

クリエイターインタビュー|小山田 陽さん(前編)

建築デザイン事務所H.simple Design Studio代表の小山田 陽(おやまだ あきら)さん。建築家としてのキャリアを持ちながら、平成29年度クリエイティブ・プロジェクト「荒浜のめぐみキッチン」でのコミュニティづくりの活動をはじめ、幅広くデザインの仕事を手がける小山田さんにお話を伺いました。

 

―建築に興味を持ったきっかけは何ですか?

中学生のときに家庭教師がいたんですけど、きっかけはその人とのふとした会話でした。勉強はほとんど教えてもらっていないんですけど、いろんな話をしてくれて楽しかったんですよね。ある日「陽くん、夢はあるかい? 男は夢がなきゃカッコ悪いぜ」って話になって。「陽くんは絵も上手いし勉強もできるから、建築家だ」って言って、次の週に建築の雑誌を買ってきてくれたんですよ。当時特に目指している職業はなかったんですけど、それに載っていた建築家の丹下健三とアントニン・レーモンドに憧れるようになって。たとえばアントニン・レーモンドが設計した軽井沢聖パウロカトリック教会という木造の教会の写真を見たときに純粋にいいなぁ、すごいなぁと思ったんです。それから建築の雑誌をいろいろと自分でも買うようになって、中学校2年生のときには建築家になるって決めていましたね。その後大学に入るまでも、興味のある建築を実際に見に行ったりして、さらにのめり込んでいきました。

―中学2年生は早いですね! 他にも建築の道に進むきっかけになったことはありましたか?

両親の影響もあるかもしれません。父は公務員だったんですけど、趣味で油絵を描いていたんです。寝室の隣が父の絵描き部屋で、毎晩絵を描いている姿を見ていたので、ものをつくるという感覚が自然に身についたんだと思います。父は子どもの私に「これどっちがいい?」って聞いてくるんですよ。はじめのうちはなんとなく感覚的に答えていたんですけど、いつのまにか「これが前にあった方が遠近感が出る」とか「コレとアレが重ならない方がスッキリ見える」とか、それなりに理由づけをして答えていました。一方で、母は仕事とは別に俳句を教えたりもしていて、視点がおもしろかったんですよ。たとえば雪の中の葉っぱが落ちた木を見て、春を思い浮かべるときれいに見えるとか、そのつぼみに生命力と力強さが見えるとか。「ものを見る目」ということについては、父にも母にもいい教育をしてもらったと思いますね。

―それから大学に入って建築の勉強をはじめたんですね。

いろいろとあって(苦笑)2浪した末に法政大学に入ったんですけど、とてもいい大学を選ぶことができたと思っています。1年生の4月から、一般教養だけでなく建築を勉強できたのもよかったし、何より先生がよかった。私が在籍する前も後も、法政大学には素晴らしい先生方がたくさんいるんです。その中で私は富永譲先生の研究室に入ったんですけど、先生は日本建築学会賞を受賞されるような方で、学問としての建築から実務としての建築まで、幅広く丁寧に教えていただきました。私の事務所H.simple Design Studioの名前には「本質をシンプルにデザインする」という意味を込めているんですけど、この「本質」は富永先生の「本質を大切にしなさい」という言葉からいただいたものなんです。「人間はまねをして成長していくんです。どうせまねをするなら、表面じゃなくて本質をまねなさい。そして本質を見抜くところに時間をかけなさい」っていう最初の教えを忘れないようにね。素晴らしい先生でしょ(笑)。本当に尊敬しているし、いろいろなことを教えてもらいました。

小山田さんが代表を務める建築デザイン事務所H.simple Design Studio

―先生の教えを今でも大切にしているんですね。

他にも大切にしている教えはたくさんあって、その1つに「建築家には二面性が必要だ」という教えがあります。猪突猛進に1つのことに集中して取り組むのと、全体を俯瞰して見るのってなかなか両立できないですよね。その2つをきっちり自分の中で切り分けてやれたら一人前だと。俯瞰で見るのは、自分が一生懸命やったことを否定することだから、甘い姿勢じゃダメなんです。

大学時代、私の設計課題や建築思想についてケチョンケチョンに言ってくれた先輩がいたんですけど、その人が卒業するときに「俺はもうお前のことを否定してあげられんから、自分でちゃんと批評するんやぞ」って言ってくれて。今つくっているものをよりよくするために批評(俯瞰してみる行為)がある。だから、きついことを言われてもついていけたんですよね。その先輩のことは今でも尊敬していますね。悔しいですけど(笑)。

―最初の就職先は?

城戸崎建築研究室というデザイン系のアトリエ設計事務所です。友だちの紹介でアルバイトとして働きはじめ、そのまま就職しました。代表の城戸崎先生の、伝統的な和の要素を現代的に捉えようとするデザインの方向性がすごく好きだったし、しかも先生は丹下健三事務所出身で、憧れの丹下先生の孫弟子みたいになれたことも嬉しかったですね(笑)。

それと、城戸崎先生は私が憧れていた二川幸夫という建築写真家によく写真を撮っていただいていました。城戸崎事務所に入れば二川先生に会えるかもしれない、会いたい、ということが実はもう1つの理由でした。二川先生は、西洋に追いつこうと日本全体が必死になっていた高度成長期にあって、『日本の民家』という一見時代に逆行するような書籍をつくられた方です。二川先生はその中で「人間生活とともに長い歴史を生き続けてきた民家のガンバリと力強さ、私は民家のなかに民衆の働きと知恵の蓄積を発見し、この現在に生き続けているすばらしい過去の遺産を、自分の手で記録しようと思いたった。(『日本の民家』二川幸夫)」とおっしゃっています。私は大学の図書館ではじめてこの書籍を見たんですけど、そこに写っている民家が本当にかっこいいし、力があり、すごいんですよ。

二川先生はご自身で建築専門の出版社を設立されて、世界中を回りながら自分の目で見て肌で感じていいと思ったものをだけを撮って、英語と日本語のバイリンガルで建築書籍を次々と発表されました。いつしか「FUTAGAWAに写真を撮ってもらえたら建築家として認められる」と噂されるぐらいの影響力を持つようになるんですが、自分の目と耳と肌でものの良し悪しを判断し、それが社会的な価値になるってすごいことですよね。私もいつかそんな人間になりたいって本気で思っています。

―建築の仕事のおもしろさはどういうところにありますか?

何もないところに空間ができること自体もおもしろいんですが、周りの環境や風土にうまく溶け込む建築をつくれたかなって思えるときが嬉しいですね。たとえば二川先生は「いい建築(空間)っていうのは、その環境にうまく入り込んでいる」とおっしゃっていましたが、それって見た目のよさだけじゃなくて、その土地・環境で長い時間をかけてつくり上げられた、風土に根ざした用の美というか、機能的な美しさも備わっている・継承しているということなんだろうなぁと思うんですよ。

―たしかにそれは建築ならではのおもしろさかもしれませんね。

はい。あとは人ですね。工事がはじまると職人さんたちとやり取りをして、現場で起きている問題を解決していくのが楽しいんですよね。図面では辻褄が合っていたけど、現場に行くと図面では見えていなかった部分がうまくいかないことがよくあります。職人さんと対話しながら問題を解決し、よりよいものをつくることができたときは、やっぱり気持ちいいですね。

建築は楽しいですよ、と語る小山田さん

―東京の事務所にいたときはどんな仕事をしていたんですか?

住宅とか、別荘とか、病院とか。別荘地自体を担当設計する仕事もありました。とある避暑地の別荘地だったんですけど、照明やゲートのデザインと配置はもちろん、たくさん生えている木のどれを間伐してどれを残すかとか、どこに何を新しく植えるかとか、エリア全体の設計をしたこともあります。

―当時の仕事で1番印象に残っているものは何ですか?

それはやはり、自分が担当設計して完成させた建物を、二川先生に撮ってもらったことが1番ですね。しかも季節や天候を見ながら4回も撮りに来ていただいて。それまで何回かお会いしたことはあっても恐れ多くて会話なんかしたことなかったんですが、そのときはいろいろお話もさせていただきました。

いくつかの棟が広大な敷地内に点在する建築計画だったのですが、霧が出たときに茶室棟がふわっと霧の中に立ち現れてくるのがすごくきれいで。それを二川先生にお話したら、「いや、霧はダメだ。霧の中の建築でいい写真が撮れたことがない」って言われたんですね。そうか、そういうものなのだなと思いつつ、いざできあがった書籍(『GA HOUSES 123』)を拝見したら、なんと見開きで霧の茶室棟がドーンと載っていたんです。これには参りました。それまでのご自身のセオリーにとらわれず、いいと判断したものをすぐに見開きに採用しちゃうっていうのは本当にすごいなと思いました。

取材日:平成29年12月7日

聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)、工藤 拓也

構成:工藤 拓也

 

前編 > 後編

小山田 陽

建築家/H.simple Design Studio 合同会社 代表

1978   山形県生まれ

2005   法政大学工学部工学研究科建設工学修士課程修了

2005-11   城戸崎建築研究室勤務

2011-13   楠山設計勤務

2014   H.simple Design Studio 設立

 

[東日本大震災に関連する活動]

・せんだい3.11メモリアル交流館 SSDデザインチーム設計担当(2016

HOPE FOR project 活動メンバー(2016/2017

・「未来への記憶マップ『荒浜』」製作メンバー(2016/2017

・山元町震災メモリアル展示「東日本大震災と日々の防災」 

 SSDデザインチーム設計担当(2017

・荒浜のめぐみキッチン(2017/2018

ページトップへ

Search 検索