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クリエイターインタビュー前編|芝原弘(演劇ユニット「コマイぬ」主宰)

迎え入れ上手な故郷への感謝が彩る演劇のある日常

東日本大震災後、東京から仙台へ移住した石巻市出身の俳優 芝原弘さん。仙台・石巻を中心に、主宰する演劇ユニット「コマイぬ」として震災を題材とした朗読劇の発表や震災の教訓継承をテーマに郷土芸能を取り入れた作品に出演し続けています。演劇ユニットは、自分の為にはじめた活動なうえに後発組だったと振り返る芝原さん。しかし、その“こまわり”の良さは、いまでは故郷の景色となり、演劇の彩りを色濃くするものに。

ー 現在取り組まれている活動について教えてください。

いまは、大きな2つの柱を基軸に活動させていただいています。ひとつは、岩手県大船渡市にある「みんなのしるし合同会社」との協働です。震災の伝承を郷土芸能と演劇を合わせた作品群の製作に携わらせていただいています。それともうひとつは、2013年に結成した演劇ユニット「コマイぬ」で行なう朗読劇です。東日本大震災に纏わる不思議な話を題材にした『渚にて あの日からの〈みちのく怪談〉』と涌谷町在住の作家 郷内心瞳先生の『拝み屋怪談』を朗読劇にした『月いちよみ芝居』を展開しています。この作品は私の出身地である石巻市で、ほぼ月1ペースで上演させていただいていて、次の公演で23回目を迎えます。

コマイぬよみ芝居『あの日からのみちのく怪談』(2019年)

ー どちらも震災後からの活動なんですね。宮城県に戻ってきたのは、やはり震災がきっかけだったんですか?

当時、私は東京で俳優活動をしていたのですが、震災後に児童劇団の巡業で石巻市立石巻小学校を訪れたことが、私にとって大きなきっかけとなりました。

震災の年に、所属していた劇団が活動休止になり、身の振り方を考えていたんですが、2011年の暮れに大学の友人から声をかけてもらって、2012年4月から児童劇団での仕事に就きました。全国を回るので、自分で上演場所を選べないんですけど、たまたま私のチームが石巻小学校で上演することになって。それが、とても運命を感じましたね。

ー それは運命を感じますね!

石巻小学校で上演した時に、震災からまだ1年しか経っていないのにも関わらず、本当にお芝居を楽しんでくれて。その時に初めて「お芝居は故郷の人たちにも喜んでもらえるんだな」と思えたんです。これを機に2013年、演劇ユニット「コマイぬ」を結成することになります。

ー なるほど。ここで「コマイぬ」が結成されるんですね。

自分の芝居を届けることをやってみようと思ったんです。でも石巻には、大きな劇場もなければ、お芝居をするための場所もなかったですね。それに予算もなかったですし。なのではじめは、小さなカフェやギャラリーでもできるように、二人芝居を行なう演劇ユニットをつくりました。この活動に東京で活動していた、岩沼市出身の女優菊池佳南さんが共感してくださったんです。最初の頃は、読み聞かせの経験があった菊池さんの提案がきっかけで、石巻で絵本の読み聞かせをする機会があったんです。それまで、私自身は読み聞かせをやったことがなかったので、子どもたちに喜んでもらえたときは嬉しかったです。

石巻に恋しちゃった!(2016年)

ー その後、2017年に菊池さんとはご結婚されて、その翌年には百物語を題材にした披露宴もされましたね。観に行きたかったです。

そうなんです。しっぽりとやらせてもらいました(笑)。東松島市の「蔵しっくパーク」で、『狐の嫁入り行列』と百物語をコンセプトにした披露宴を開催させていただきました。蔵しっくパークの方には、宮城で活動するようになってからずっとお世話になっています。この時に改めて、宮城で出会った本当にたくさんの方々に支えてもらっているんだなと、感じました。宮城の各地域でクリエイターとして活動ができているのは、何者かもわからない我々を迎え入れてくださる「場所」があるから。とてもありがたいです。

ー 東京から宮城に戻り、俳優としての意識に変化はありましたか?

東京にいた時は自分勝手だったなって思います(笑)。誰かのためっていうのはあまりなくて、やっぱり尖っていたのもありました。どうやって上に行こうかとか創作に集中する事の方が多かったです。いい意味で、演劇にすごく集中してたのかなと思いますが、やはり宮城で活動するようになって、お客様の顔をすごく見るようになりましたね。演劇を観にきてくれる方たちのことを考える時間が増えました。私の場合は「石巻に作品を届けたい」という思いが強かったので、地元の方がそれを見た時にどう思うかな、というのは、毎回公演を重ねる度に考えています。

ー 地元に作品を届けたい!素敵ですね。

地元の方は物語をとても楽しみに観にきてくれるので、それには私もとても勇気づけられましたし、みなさんの前で演じられることがとても楽しいです。正直、東京でやっていた頃は、演劇を楽しいと思う時間ってそんなになかった気がします。いまは「宮城の地元の方々に作品を届けるというのは楽しい」と思えることが多くなりましたね。年取って丸くなったのもあると思うんですけど(笑)。

ー 朗読劇では、怪談話を扱っていますが何か理由があるのですか?

『あの日からのみちのくの怪談(※)』という作品を柱に活動して、今年で6年目になります。東日本大震災を“風化させたくない”という思いで、震災怪談と呼ばれる、震災後に語られるようになった不思議な物語を朗読で上演しています。

これを東京などの他の地域で上演すると、教訓として受け取ってくれる方が多いんです。しかし、津波で被災した地域では、自分のこととして見てくださる方が多いですね。「勇気づけられた」「元気になった。明日頑張ろうと思えた」という風にアンケートで書いてくださいます。良い意味で、その物語に対する距離感の違いは感じます。距離感は違うけれど、それぞれ、とても前向きにとらえてくれていると思います。そんなお客様の反応を見ていると、東日本大震災は過去のものではないんだなと毎回考えさせられます。

(※)東北の作家10人が綴る、東日本大震災に纏わる怪異譚『渚にて あの日からの〈みちのく怪談〉』(荒蝦夷/2016)が原作。

第2回ワンコインシアター『調律師(※)』(2020年)

(※)仙台在住の熊谷達也が3.11を描く現代小説。ある出来事がきっかけでピアノの音を聴くと「香り」を感じるという「共感覚」を獲得した調律師の喪失と再生を描く連作短編『調律師』(文藝春秋/2015)が原作。

ー 今後はどんな活動をしていきたいですか?

私は東日本大震災後に宮城県へ戻ってきたのですが、それまでは俳優として20年間ずっと東京にいました。そこで出会った方々を宮城に連れてくるという橋渡しも行なっていて、これからも続けていきたいと思っています。また石巻での活動ではともに、いしのまき演劇祭を盛り上げている地元劇団の方々や高校生たち、そして応援してくださる市民の方々の温かいご協力もあって活動できています。本当に感謝しかないです。これからも宮城の方にエンターテインメントを届けていきたいですし、宮城の方々と一緒に作品を作りたいという思いがあります。

取材日:令和3年1月10日

取材・構成:太田和美
撮影:小泉俊幸
取材協力:宮城野区文化センター

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芝原弘(しばはら・ひろし)

1982年石巻市生まれ。俳優。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻卒。劇団黒色綺譚カナリア派所属。いしのまき演劇祭実行委員会副代表。東京にて舞台を中心に活動後、2013年からは故郷の石巻市に演劇を届けるため、演劇ユニット「コマイぬ」を旗揚げ。代表作のよみ芝居「あの日からのみちのく怪談」は、上演を重ね今年6年目を迎える。2016年「いしのまき演劇祭」の立ち上げに参加。2019年より拠点を東京から宮城に移す。石巻に於いて「月いちよみ芝居」開催中。2020年、宮城県芸術選奨新人賞を受賞。

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