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クリエイターインタビュー|齋藤 和哉さん(後編)

生まれ育った仙台で建築家として活躍する齋藤和哉さん。建築の道を志し歩き続ける原動力となった2つの出会い、仙台で建築の仕事をする意義などについて伺いました。

―阿部仁史さん、槻橋修さん、2人の建築家のもとで経験を積み後、独立されてからの仕事についてお話しいただけますか?

独立したばかりの住宅設計の仕事で、「八木山のハウス」というものがあります。震災直後で物価が高かったり、基礎に入れる砂利など材料の放射線の調査を求められたり、結構大変なタイミングではあったんですが、僕の建築観をきっちり表現できた仕事なんです。

―「建築観」について、具体的に聞かせてください。

大学院の2年生のときに取り組んだ課題で、「10×10×10ハウス」というものがあるんですが、そこからずっと尾を引いている考えで。課題自体が10m×10m×10mのボックスをベースに住宅を設計するというもので、そのとき考えたのがボックス以外の材料を使わないという手法で。

―10m×10m×10mの空間に何かを置いていくのではなく、その外枠を箱として見て、それ自体を材料にする、ということですか?

そうです。切り込みを入れて折れば、切り込みを入れた部分は開口になるし、折られた部分は床になる。これを繰り返すことで、住宅をつくれないかと考えたんです。建築って内と外、両方からの要請で構造が決まっていくんですが、そのことを実感を持って理解できたのがこの課題で。以来、内と外との押し合いへし合いを意識して、設計をしてきましたね。それをうまく形にできた仕事の1つが、八木山のハウスなんですよね。

画面に映っているのが、大学院時代につくった「10×10×10ハウス」の模型。

―住宅以外のお仕事も、ご紹介いただけますか?

最近だと、神社の休憩所の建て替えというのがあります。金蛇水神社という神社なんですが。

―三越の脇にある神社ですよね?

それは分社で、本殿が岩沼にあって、そこの休憩所の建て替えの仕事です。元々は古くなった休憩所のリノベーションという案件だったんですが、ヒアリングを進めていくうちに建て替えの方がよさそうだという話になったんです。岩沼というと竹駒神社のイメージが強いかもしれませんが、金蛇水神社は双璧をなすと言ってもいいくらいの神社で。観光資源としての力もあるので、そういったところにもつなげることを意識して進めています。

―ところで、齋藤さんはずっと仙台にお住まいですか?

そうですね。生まれも育ちも仙台で、ずっと仙台で暮らしてきました。

―外に出ようと思ったことはないんでしょうか?

何度か考えたことはありますよ。阿部さんの事務所で追い込まれていたときにも考えたし、槻橋さんが東北工大から神戸大に移るときには、「一緒に来ないか」とまで言ってもらいましたしね。ただ、僕が建築家を志したきっかけである阿部さんが、仙台にいながら世界を舞台に活躍していたので、東京に出ていかなくても一流の建築家になれると思っているし、やるなら仙台でやってやろうという気持ちが昔から強かったんですよね。僕が独立したのが31歳のときなんですけど、そのとき仙台には、同年代で独立して建築をやっている人はほとんどいなかった。だからこそ仙台での独立を選んだし、自分が独立することで、後に続く人が出てくるといいなという思いもありました。

―設計の仕事の他に、大学で講師をされていることも、そういった思いからなんでしょうか?

地域のこともありますが、もう少し広いくくりで、建築業界全体を盛り上げていきたい、そのために人を育てたい、という方が大きいかもしれませんね。

―建築業界を盛り上げていくためには、世間一般の認識も変えていく必要があるようにも思えます。

公共建築をつくると、「ハコもの行政だ」と叩かれますからね。でも、建築って我々の生活のベースである、衣食住の「住」で、公共建築は住まいではないけど大きなくくりで見れば「住」なんですよ。そこをネガティブな目で見ることは、これからの生活をネガティブな目で見ることと同じで、それが明るい未来につながっているとは思えないんですよね。一概に欧米がいいと言うつもりはないんですが、やはり建築物に対する愛着のようなものは日本と全然違っているんです。僕が教えているのは大学生ですが、もっと早い時期の教育に建築家が関わっていくことは、社会にとっても意味があることなんじゃないかと考えています。

―それはおもしろい視点ですね。

建築家って、施主さんにお金を出してもらって、大工さんに建ててもらうのが仕事なんですが、要望をクリアしていれば自分の表現したいものを形にできるし、そうしてできたものを「自分の作品」と言える点がちょっと不思議ですよね。まあ、もちろん工事中に大工さんがミスをしたら一緒に謝罪に行ったりとかするんですが、そういう部分も含めて横断的に人と関わることが建築の醍醐味なんです。だから、社会との関係性を大切にするというのは、ある意味で必然なんですよね。

―最後に、今後の展望を聞かせてください。

建築って、経験を空間に還元するということなので、歳をとれば経験を積めば積むほどクリエイティブになっていくという側面があって。そういう意味では、槻橋さんから学んだ、何にでも興味を持つ姿勢をこれからも持ち続けること。そして、社会との関係性を大切に11つの仕事を丁寧にやっていく。それに尽きますかね。

取材日:平成30年11月20日
聞き手:仙台市地域産業支援課、工藤 拓也
構成:工藤 拓也

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齋藤和哉

建築家
株式会社齋藤和哉建築設計事務所 代表取締役
東北工業大学・宮城学院女子大学 非常勤講師

1979 宮城県仙台市 生まれ
2003 東北工業大学大学院工学研究科建築学専攻 修了
2003-04 阿部アトリエ 勤務
2004-09 ティーハウス建築設計事務所 勤務
2010 齋藤和哉建築設計事務所 設立

2015 平成27年度日事連建築賞 奨励賞 「八木山のハウス」
2017 金蛇水神社参拝者休憩所 リノベーション設計競技 最優秀賞
2018 第11JIA東北住宅大賞2017 優秀賞 「八木山のハウス」
2019 加美町中新田公民館設計プロポーザル 最優秀者(ティーハウス建築設計事務所と共同)

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