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JDSound(前編) 意図せず踏み出した「GODJ」への第一歩

仙台発の世界最小DJ機器として2013年にリリースされ、宮城を軽々と越えて全国、海外へその名をとどろかせた「GODJ」。仙台のベンチャー企業が示したものづくりの新たな可能性として一躍注目を集めたが、その開発のきっかけは、革新的な製品を世に出そうという壮大な夢や野望とはかけ離れた、差し迫った現実的な理由だった。20年以上にわたり半導体に関わり続けてきた宮崎晃一郎社長がGODJを世に送り出すまでの道のりを振り返る。

意図せず踏み出した「GODJ」への第一歩

—まずは起業されるまでの経緯を教えてください。

宮崎晃一郎(以下、宮崎) 東北大で半導体の設計を研究して以来ずっと半導体の分野におりまして、最初の就職先はモトローラの半導体開発センターでした。2年半くらい勤めましたが、海外で開発されたものを日本の自動車産業へカスタマイズすることが主な業務で、一から開発することがなかったんです。そんな中、独自の半導体を作るために起業することを決めた先輩からお誘いいただき、転職しました。勤務地は東京でしたが、3年たったら戻してもらうよう条件を付けていて、東北大と共同開発する拠点を作るという名目で2005年に晴れて仙台に戻りました。

仙台では自社の半導体の上で動かすソフトウエアの開発を行っており、われわれの開発したチップが遊技機市場、パチンコ・パチスロ向けの音声チップに使われるようになりました。音声に特化していたわけではなく暗号解析、通信、画像処理など何でもできる一般的なプロセッサーを作っていたんですが、当時は「ぱちんこ冬のソナタ」のような映画を題材にしたものや芸能人の声が出る機種が増えてきて、われわれの高音質なチップが業界の方の目に留まったという経緯です。

次に携帯電話市場を狙ってチップを開発し、サムスンに採用されることが決まったんですが、突然サムスンがガラケーからスマホにかじを切り、突然契約が白紙になってしまいました。われわれとしては、メインプロセッサーの処理能力を上げずに低消費電力で動かしつつ、音楽再生にわれわれのチップを使うことでバッテリーを長持ちさせる、という方向で進めていたんですが、1個の強力なプロセッサーを入れて、電力をどんどん消費して発熱しながらでも高機能を実現するという、いまのスマホの方向性にシフトしてしまったんです。

東北大在学時から20年以上半導体に携わり続けてきた宮崎社長

—そこからどうされたんですか。

宮崎 作ってしまったそのチップをどうするか、ですよね。1つのチップを作るには億単位の投資がかかるので、どうやって回収するかと株主、投資家を含めて大騒ぎでした。何とか売らないと食べていけないので、「宮崎さんのアイデアでこのチップをどうにかしてください」と言われて、低消費電力での音楽再生という利点を生かせるアイデアをいろいろと出したんですが…いま思い出すと知識がなかったなと。当時はずっと会社でプログラムを書いているようなエンジニアで、外の人と話したり商材を見に行ったりする機会もほとんどなかったものですから、思い付くアイデアも浅はかなんです。それに結局携帯電話向けに作られたチップなので、それ以外のところに納めようというのは、どだい無理なんですよね。

—すでに「GODJ」のアイデアもあったんでしょうか。

宮崎 いくつかのアイデアの中の一つとして、まだ世界にないこういう製品ができるという提案はしました。しかし、半導体を作る会社でしたので最終製品を作るのはリスクがありますし、株主に説明して追加投資を引き出すのも難しいでしょうし、そもそもできるかどうかも分からない。そこを進めなかったのは、会社として正しい判断だったとは思います。そんな状況が続く中、東日本大震災を機に仙台の開発センターをクローズすることになりました。

—そしてGODJを形にするためにJDSoundを立ち上げたと。

宮崎 立ち上げざるを得なかった、というのが正直なところです。高い志を持って会社を作ろうとか、革新的な製品を発表しようとか、そういう起業家精神を持っていたわけではなく、仕方なく。当時のスタッフと4人で2012年2月に起業したんですが、「会社設立するのってすごく大変じゃん…」とブツブツいいながら、もんもんとしながらやっていたのを覚えています(笑)

ただ、丸腰でスタートしたわけではなくて、事業提携という形で前の会社から開発の仕事を頂いてソフトウエアの納品などをしながら、その傍らでGODJの開発を進めていました。チップ自体は前の会社の製品ですので、われわれが製品を開発することによって使い道ができれば利益が上がりますので、彼らとしても投資的な意味合いがあったんですね。そういう形でソフトランディングできました。

クローズした仙台の開発センターに勤めていた3人と共に起業。現在の従業員は8人まで拡大した

GODJの開発を始めてからの道のりは。

宮崎 何しろゼロの状態からのスタートで、本当に苦労の積み重ねでした。例えば液晶一つ取ってもそうです。われわれのような小さな会社では液晶を自分たちで作ることはできませんので、世の中に出回っているもので大量オーダーせずに買えるものというと、横型のデジカメ用液晶しかない。ところが液晶には視野角というものがあって、全方向から見えるわけではありません。それを知らずに買って横に並べたら、2つとも一方向からしかよく見えないという困った仕様になってしまいました。結局、それを解消するために非効率的なコネクターの取り付け方になって、信号線が長いので不良も出やすく、(1枚の大きな基板から1台ごとの)基板を取るのも無駄が出てコストがかかるという…言葉で説明するのは難しいですが、そういう苦労がありました。

視野角の問題を解消するために非効率的な基板の取り方となり、余分なコストがかかった

ほかにも、3つ並んでいるノブ(つまみ)のトルク(ねじりに対する抵抗)にばらつきが出てしまうこともありました。元の部品がメーカーさんから出荷されるときはそろっているんですが、ハンダごてで付けるときに工員さんによっては熱しすぎて中のプラスチックが溶けてしまい、それがトルクに影響を与えてノブを回し比べると違いがすぐに分かる。こっちのノブは軽くてこっちは重いとか、そういう問題が出てしまうこともありました。

そんなふうに1カ所1カ所説明していくと、トラブルがなかった場所はどこだろうなと探すくらい、どこを見ても苦い思い出がよみがえってくるんです(笑)

部品一つ一つに込められた開発の苦労を語る宮崎社長

※宮崎の「崎」のつくりは立に可が正式表記。

 

取材・構成:菊地 正宏
撮影:松橋 隆樹

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株式会社JDSound

2012年に設立された宮城県仙台市に本社を置くベンチャー企業。半導体設計とデジタルオーディオの分野で15年以上の経験を持ち、遊戯機やカラオケ機器といった業務用製品からギターエフェクタやハイレゾプレイヤーなどのコンシューマー向け製品まで幅広い実績がある。企業理念は「人生の宝物になる製品を作る」。メード・イン・ジャパンの高品質オーディオ製品を全世界に発信している。

Web:http://www.jdsound.co.jp/

ポータブルスピーカー「OVO」:https://greenfunding.jp/lab/projects/2095

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