クリエイターインタビュー前編|櫻井 鉄矢
震災は神様が僕に与えた試練。それまでに培われた知識や経験はこの日のための準備だったのかもしれない。目の前で苦しむ人達の力になりたい。その気持ちが僕を動かした。
本日は東日本大震災を機に地元の岩沼市に戻り、「和魂再生洋才」のコンセプトをもとにオリジナルブランド「サムライアロハ」を立ち上げた櫻井鉄矢さんにお話を伺いました。商品づくりのきっかけ、地元に対しての思い、将来の展望など様々な視点を通して櫻井さんをご紹介します。
-今日はよろしくお願いします。震災を機に宮城へ戻られたということですが、それまではどんなお仕事をされていましたか。
大学を卒業後、ブランド品を中心とした古物商・質屋を手掛ける株式会社大黒屋へ入社し、大阪店、新宿店の店長を経験したのち、フランチャイズ課の課長として働いていました。その頃は常に数字を追いかけるような日々でしたね。どんなに良い成績を出しても、翌年の目標はそれを超えること。大変ではありましたが、今では貴重な経験となっています。
-宮城県に戻ってみて印象はいかがでしたか。
岩沼は津波の被害も大きく、建物が流され、職を失い、そこでの生活が困難になっている人がたくさんいました。その光景をまのあたりにし、何か自分が力になれることをしたいと思ったのが最初です。
まずは地元の若者数人と一緒に、大黒屋のフランチャイズ店を始めました。今ではおかげさまで仙台市内に3店舗まで増やすことができ、スタッフ達の頑張りに感謝しています。こんな僕についてきてくれて嬉しいですね。
-今では国内だけなく海外からも高い評価を受けるサムライアロハですが、ブランド立ち上げのきっかけを教えてください。
震災の津波で流された建物には保育園もあって、周りの友達だけでも待機児童問題が如実に表れていました。保育園に子供を預けられないということは、お母さん達は働きにも行けない。この問題を何とかしたいと思ったのがきっかけです。
それとは別に長年古物商に携わり、日本にはおよそ2億着という着物がタンスの中に眠っているということが分かりました。しかし、現代では着物を着る習慣がない、買い手が付かないという理由で市場価値はほとんどないのが現状です。
-2億着とはスゴイですね。しかし需要が無いから捨てる人も多そうですね。
もったいないですよ。中にはビンテージと言われるような着物がありますが、日本ではニーズが無いので売っても二束三文の価値しかありません。しかし、これが海外の人から見るとちょっと変わってきます。
日本を始め、アジア圏の人はブランド品のような記号にお金を払う習慣があります。しかし、ヨーロッパなどではデザインにお金を払う傾向にあるのです。無名だろうが有名だろうが、デザインが良ければお金になるのがヨーロッパ。そこに目を付けました。
また着物と聞いて、アロハシャツを最初に思い浮かべました。もともとアロハシャツは、ハワイへの日系移民が自分の着物を仕立て直して作ったのが始まりと言われています。そして今では1着数万円という高値で取引されるほど、人気のある商品となりました。
日本に眠る着物を安く仕入れ、アロハシャツとして生まれ変わらせ、高く買ってもらう。その間の作業を待機児童問題でやむなく家にいる地元のお母さん達にお願いが出来れば、少しでも手助けになるかもって思いました。またサムライアロハが作られる背景、地元のお母さん達が作っているという背景もブランドの付加価値になるのではと考えました。
-着物からアロハシャツへはどうやって作られるのですか。
着物というものは、そもそもハサミを入れることが御法度とされています。しかも着物から反物に戻す作業を業者へ依頼すると、1着15,000円程の費用に1週間程の日数がかかります。しかし作業自体は慣れれば難しいものではなく、この作業をお母さん達にお願いすることにしました。糸をほぐし、洗濯をして、反物へとしてくれます。慣れている人だと1日で10着ぐらい仕立ててしまう人もいますね。
着物から反物へと戻すことは出来たのですが、反物からアロハシャツを作るための縫製を請け負ってくれる工場が県内ではありませんでした。いろいろと探す中で、同じ震災を経験したという境遇も重なり、南相馬の縫製工場が引き受けてくれたことが商品化の始まりとなります。
-発売開始当初、市場の反応はどうでしたか。
全然売れませんでした。宮城県発のアロハシャツに2万も3万も払うという感覚が無かったのかもしれませんね。また商品を置いてくれるお店はほとんどなく、最初はインターネット販売を中心に始めました。
徐々に認知されるようになり、「新東北みやげコンテスト」では光栄にもインバウンド特別賞を頂くことができました。また中でもNHK「美の壺」で取り上げていただいたことの反響が大きかったですね。そのほか県内の番組でも紹介いただいたり、アーティストの方が紹介してくださったりと感謝の連続です。
今では多くの方に買っていただけるようになりましたが、アロハシャツのデザインに関して言えば、お母さん達に一任していることが人気の理由の一つかもしれません。全体の構成や柄の繋ぎなど、現場のお母さん達の話し合いで決まっています。以前は私も意見を出していましたが、最近では全て任せるようになって、売り上げも伸びるようになりました。あはははっ。
-今ではフランスを始め、大手百貨店にも置かれるようになったとお聞きしました。
フランス・パリにあるセレクトショップ「レクレルール」で商品を置かせていただけることになりました。日本では小田急、西武などでの販売が決まっています。最近では男性アパレルブランドのHAREとのコラボアイテムを発売させていただきました。着物生地で作ったコートは3日で完売するほどの人気がありましたね。
またアイリスオーヤマの大山会長からの推薦もあって、全日空の免税店でも販売されています。大山会長がハワイに行く時にはサムライアロハを着て行かれるそうですよ。嬉しいです。
-大山さんとは何かお仕事などで面識があったのですか。
実は大山会長のことは子供の頃から知っている間柄でした。
取材日:令和2年1月13日
取材・構成:木戸 靖貴
撮影:豊田 拓弥
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櫻井鉄矢
1981年生まれ、宮城県岩沼市出身。明治大学経営学部会計学科卒業、株式会社大黒屋入社。大阪店店長、新宿店店長を経てフランチャイズ課課長に就任。2011年東日本大震災により実家が被災し、実家の復旧の為に退社、2012年にノウハウを活かし、大黒屋とフランチャイズ契約を結び独立。2016年現在、仙台市内に3店舗を構える。 2015年9月、待機児童を抱える主婦へ、子育てをしながら出来る仕事として中古着物を反物にし、アロハシャツに加工するサムライアロハ事業を開始。