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ライターバトン -33- 「東北魂」

仙台を中心に活躍するライターが、リレー形式でおくります。前任ライターのお題をしりとりで受け、テーマを決める…という以外はなんでもアリの、ゆるゆるコラムです。

東北魂

僕は、東北魂という言葉をとても気に入っている。出生届によれば、実は僕の生まれは『翔んで埼玉』で一躍脚光を浴びたあの所沢なのだけれど、二歳にはいわき市に越してきて、十八歳で進学を機に仙台市に住み着いてしまったため、自分のことは東北人だと思っている。(こう言うと所沢の方々が怒るかもしれないけど、あの『翔んで埼玉』さえ許してくれた寛容な所沢市民の方々なら、きっと許してくださると思う)。

この季節になると、「東北」という言葉を全国ネットで聞くことが増える。その理由は、きっとこの記事を読んでいる方々には説明せずとも分かってもらえるだろう。
東北の今を知る。がんばろう東北。東北が好き。そうした言葉をメディアで聞いた東北の外にいる方々が、東北に興味を持ってもらえることは、本当にありがたいことだ。ただそれでも、東北に住む自分はメディアでそうした言葉を聞くたびに、どこか気恥ずかしさのような、小さな反発心のようなものを抱いてきた。

自分なりに考えた結果、最近、その理由と思われるものが二つほど見つかった。
一つは、「東北人気質」と言われるものだ。東北の一寒村が日本国に対して独立宣言する井上ひさしの傑作小説「吉里吉里人」の中で、作中の吉里吉里国立中学校附属大学外国語学部日本語学科教授(日本国にいえば公立中学校の国語教師)であるユーイチ小松は、吉里吉里語(ズーズー弁)についてこう解説している。

“秘訣をお教えしておきます。
吉里吉里語を話すときは、(こんなズーズー弁とよく似た外国語を勉強してなんの役に立つのだろう。他人から笑われるのが関の山ではないかしらん)と、なんのいわれもなく劣等感を持つように努力してください。このいわれもない劣等感があなたの口の動きを固くし、曖昧にします。そしてそうなってはじめて、あなたは生粋の吉里吉里人と較べてもほとんど遜色のない吉里吉里語の発音をわがものとなさることができるでしょう。”
『吉里吉里人(上)』(新潮文庫1985年)井上ひさし著

東北の人たちは吉里吉里人の書かれた1980年から、「なんのいわれもない劣等感」を持っているのが当たり前だった。全国の人から東北という言葉を聞くと、何か申し訳ないような気持ちになるのは、この東北人気質が原因なのかもしれないと思う。

もう一つの理由は、「内と外」と言われる感覚だ。三島由紀夫はかつて朝日新聞に掲載された「愛国心」と題したコラムの中で、このようなことを書いている。

“実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。─中略─
この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい。─中略─「大和魂」で十分ではないか。”
「愛国心――官製のいやなことば」(朝日新聞夕刊 196818日)三島由紀夫著

詳細な解説をするとコラムの趣旨が変わってしまうので簡単に書くと、三島由紀夫は、「愛する」という動詞は自分の「外」にいる対象へ使う言葉であり、「愛国心」は、国を「自分の外にあるもの」と考えている人々が使う、冷たい言葉であると考えていた。
僕は、自分がメディアで「がんばろう東北」という言葉を聞くときに覚える小さな違和感は、三島由紀夫が「愛国心」に抱いた感覚に一番近いように思った。つまり、どこかで「東北」という言葉が、使う人の「外」に置かれているように感じたのだ。

今から八年前、NPOの仕事でとある沿岸部の町の方にお話を聞いた際、メディアで流れる「がんばろう東北」という言葉をどう思うかという話題になった。その際、住民の方が「もう、充分がんばってっぺさ」と口にした声の響きを、いまだに僕は鮮明に覚えている。応援の声はもちろんありがたい。同時に、この季節になると急激に増える外からの「東北」という言葉、そしてその言葉とともに間接的、直接的に行われる東北への「評価」に、気疲れしてしまう思いも痛いほど分かる気がした。

僕は、東北魂という言葉をとても気に入っている。サンドウィッチマンの伊達さんと富澤さんが、二人でこの三文字が描かれたTシャツを着て全国ネットに出ているのを見ると、なんともいえない誇りのような気持ちを抱く。それはきっと、サンドウィッチマンのお二人をはじめ、「東北魂」という言葉を使う方々から、「東北は自分の一部なんだ」という気持ちが、ひしひしと伝わってくるからだと思う。

東北は、自分の一部だ。だからこそ、傷つけば痛みを覚えるし、外で話題にされていると、どこか気恥ずかしい気持ちになる。これからの季節、特に今年は、また各地で「東北」という言葉を聞く機会がメディアで増えるかもしれない。僕は他のどんな言葉よりも、「東北魂」という言葉を、これからもずっと大切にしていきたい。

次回


次回は「い」から始まる言葉で、元同僚で現在はフリーライターとして活躍する山口史津さんにバトンを渡します。仙台市民交響楽団での一員でもある山口さんの旋律をお楽しみに。

根本聡一郎

福島県いわき市出身。仙台市在住。19901020日生まれ。NPO法人メディアージ理事。東北大学文学部卒業後、NPO活動と並行して作家活動を開始。東北を舞台にした物語を中心に執筆活動を行っている。著書に『プロパガンダゲーム』『ウィザードグラス』(双葉文庫)「宇宙船の落ちた町」(角川春樹事務所)などがある。

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