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クリエイターインタビュー|石森 史寛さん(前編)

東北大学大学院修士課程を修了後、仙台の設計事務所で経験を積み、株式会社石森建築設計事務所を設立。一級建築士として活躍されている石森史寛(いしもり ふみひろ)さんにお話を伺いました。

 

―建築分野に進んだきっかけを教えてください。

大学で土木を学んで、卒業後は民間の土木コンサルタントで働いていたんですが、もともと建築に興味があって、「建築方面の仕事に携わっていきたいな」と思って、仕事を辞めて大学院に進学しました。

 

―東北大学の大学院を選んだのは、どんな理由からですか?

宮城県出身というのもあって、将来的に地元で仕事をしたいと思っていたので、県内の大学がいいなと思っていたのはありますね。また、いろんな分野の先生がいらっしゃって、自分がやりたいことを学べると思い東北大学を選びました。

 

―修了後、すぐに独立されたんですか?

仙台のノルムナルオフィスという設計事務所で4年ほど働いて、その後独立しました。

 

―「こんな設計事務所で働きたい」というイメージはありましたか?

小さなプロジェクトからある程度大きな施設まで、幅広くやりたいと思っていたので、大きな企業で働くことはイメージしていませんでした。大きな企業だと、小さなプロジェクトなど、予算がない中で工夫してつくっていくような仕事はできないだろうと思っていたので。

 

―ノルムナルオフィスに就職したきっかけについて教えてください。

在学中にインターンみたいな形で仙台市内の事務所をいくつか渡り歩いていたんですが、その中で主宰の八重樫さんと出会ったことがきっかけです。いずれ八重樫さんのところで働きたいと思っていましたが、積極的に就職活動をしていたわけでもなく、大学院を出るタイミングで「行くところないんです」って相談して受け入れてもらったような感じです。
漠然と考えていた「自分がやりたいこと」に近づくために、いろんなことが学べるんじゃないかと思って働きはじめましたし、今でもお手本にしている先輩です。

 

―実際に働いてみてどうでしたか?

事務所のスタッフは東北大学OBの方が多かったですが、僕が入社する頃には、インターンをやらせてもらっていたときの先輩が独立されていたりとか、ノルムナルオフィスから独立された先輩方が周りにたくさんいたので、独立までの道筋がイメージしやすかったですし、いい環境で学ばせてもらえたなと思っています。

 

―印象に残っている仕事について教えてください。

整形外科の新築の案件ですね。担当として1から10まで任せてもらえたのは大きな経験になりました。現場で怒鳴られることや、図面を投げつけられることもありましたが、今思うと、みんなに育ててもらっていたんだなって。「何とか自分の力でやらせたい」と考えてもらっていたんでしょう。僕が簡単にはできないことをわかっていながら、すぐに手を差し伸べることはせず、あえて突きはなすんですよ。「お前がなんとかしろ」って感じで。自分で考えてまとめあげる経験をさせてもらえたことは、すごく勉強になりました。

―独立されたきっかけについて教えてください。

独立を考えていた時期とTRUNKのオープン時期が重なっていて、ちょうどいいなと思って入居を決めたことが独立のきっかけですかね。TRUNKのことは、事務所をシェアしている松井くん(グラフィックデザイナーの松井健太郎さん)から教えてもらいました。彼とは大学院からのつきあいで、それぞれ仙台と東京で就職したんですが、彼もちょうど独立するタイミングで。フリーランスとして仙台に戻って来てTRUNKのマネジメント業務をやるって話を聞いたんですよね。

 

―どのくらいの期間TRUNKにいらっしゃったんですか?

3年くらいだったと思います。結婚したり子どもが生まれたりと環境の変化もあって、仕事の場所を変えたいと思っていたんですよね。松井くんもメインでTRUNKのマネジメントをする任期が終わって、新しい事務所を探そうとしているタイミングだったので、一緒に事務所を借りることにしました。

 

―事務所をシェアすることのメリットについて教えてください。

家賃などの経費を折半できるのが1つ。中心市街地で借りるとなるとそれなりに費用がかかってくるので。あとは、場所を共有しているので、雑談がてら考えていることに対して相談したり、意見をもらえたりできることですかね。

 

―松井さんと一緒に仕事をすることもあるんですか?

コラボというか、“ここは松井くんにお願いする”という形でやっていることはありますね。

analogをつくるときに、僕と松井くんで設計やグラフィックデザインのお手伝いをさせていただきました。あと、仙台港のアウトレットの脇に、仙台市の大きな公園があるんですが、その公園のベンチを設計する仕事でもアートディレクションで手伝ってもらいました。僕は「つながるベンチ」って呼んでいるんですけど、迷路みたいにひたすらつながっているベンチなんです。人が集まって木陰でゆっくり休めるように、桜の木も植えました。あとは、子どもたちとワークショップをして「将来の夢」とか、「今一生懸命がんばっていること」のモザイクタイルをつくってもらって、それを埋め込んだんですよ。桜の成長とともに子どもたちも成長していって、大人になって家族を連れて来たりしたときに「これお父さんがつくったんだよ」「お母さん昔は○○になりたかったんだ」とか話ができるのっていいなと思って。時間の経過とともに少しずつ変化していきながら、関わった人たちの記憶にもしっかりと残っていく場所、みたいなことはうまく表現できたかなと思っています。

―働く場所として仙台を選んだ理由を教えてください。

1番の理由は、地元だということですね。あとは、土木コンサルタントで働いていたときの勤務地が東京だったんですが、都会のスピード感とか人がたくさんいる感じに馴染めなかったのもあると思います。仙台は人の密度もちょうどいいし、ある程度のものは手に入る。少し行けば自然もある都会過ぎず田舎過ぎずな感じは、住むにも働くにもちょうどいいですよね。

 

―休みの日はどんな風に過ごしていますか?

休みの日は娘と遊ぶ日ですね。公園やテーマパークに行ったりもするんですけど、事務所に連れて来て段ボールで何かつくってみたりとか、椅子並べて迷路にしてみたりとかして遊んでいることが多いですね。僕の実家が料理屋をやっていて、親の仕事も見て育ったので、職場を見せるのも悪くないなと思っています。

 

―親子で何かをつくるっていいですね。

僕が好きだっていうのもありますが、できるだけいろんなものを手でつくる経験をさせたいなって思っています。この間、松井くんの誕生日だったんで、娘と一緒に革のかばん屋さんに言って小銭入れをつくってきたんです。プレゼントして、松井くんが喜んでいるのを見て、娘もすごく嬉しそうな顔をしているんですよ。そういう、自分がつくったもので誰かに喜んでもらうっていう経験も通して、つくることのおもしろさを感じてもらえるといいなと思っています。

取材日:平成29年12月14日
聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)
構成:工藤 拓也

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石森 史寛

1978年 宮城県生まれ
2006年 東北大学大学院修士課程修了
2006年~  一級建築士事務所ノルムナルオフィス勤務
2010年 株式会社石森建築設計事務所 設立
2011年〜 東北学院大学非常勤講師
2014年〜 東北工業大学非常勤講師

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