クリエイターインタビュー|高山 知矢さん(前編)
照明の販売と施工、コンサルなどを行う株式会社パルックスで、プロジェクションマッピングやライティングによる空間演出のデザイン・制作を手掛けている空間デザイナーの高山知矢(たかやま としや)さん。子ども時代のコンピューターとの出合いから、パルックスへ入社するまでの経歴、そして現在の仕事などについてお話を伺いました。
―これまでのキャリアを教えてください。
専門学校を出て、最初はWEBデザイナーとして仙台のIT企業に入りました。デザインをつくるだけじゃなく、プランニングに携わることも増えていくうちに、お客様と話をしながら、「こういうのをやっていきましょうか」と話したことを形にしていくのが面白いなと思って、その流れでWEBデザイナー兼プランナーになりました。プランナーはつくる経験があるから、お客様の意見をどうしたら上手く取り入れられるか、制作面で何が必要かということが考えやすいんです。仕事としては、様々なホームページや、WEB広告などのデザインの制作やプランニングをしていました。
―いつ頃からWEBの仕事に興味を持ち始めたのですか。
小学校の時から、パソコン系の仕事に就きたいと思っていました。ゲームがすごく好きで、「ゲーム」イコール「パソコン」って思っていました。
―小学生当時好きだったゲームは何だったのですか。
いろいろ好きでしたが、シミュレーションゲームの「ファイヤーエンブレム」や「信長の野望」が特に好きでしたね。「ファイヤーエンブレム」は、一つ行動のミスをするとキャラクターが死んでしまって、その後は死んでしまっているので出て来られない。なので、攻略するためにはどう動けばいいか、小学生ながらに戦略を立てるんです。私は将棋やトランプが好きで、何手先を読むとか、相手の行動を読むのが好きでした。それで、そういうゲームを自分でもつくれたら…と思って、専門分野を学べる東北工業大学高等学校(現在の仙台城南高等学校)の電子科に入学しました。
―高校の頃から専門的なことを学んでいたのですか。
そうですね。高校ではポケコンというポケットコンピューターを支給されるのですが、ずっと面白くて触っていて、自分でゲームのプログラムを組んだりしていました。その後、東北電子専門学校に進学し、ソフトエンジニア科に入りました。2年生の頃に、インターネットが一般世帯にも広がってきて、自分でも触れられるようになってからは、インターネットはいろんなことができてとても面白いものだと感じ、一気にのめりこんでいきました。ただ、ネット用のプログラムであるHTMLの勉強だけではなく、C言語のプログラムを組んだり、作曲をしたりCGをつくったりと、コンピューターを使うことはいろいろとできるようにしていました。卒業後は、学んだ内容すべてを扱える業種としてWEBデザイナーの仕事に就きました。私の就職した2000年代初頭は、就職氷河期と呼ばれていましたが、コンピューターやネットに関わる技術は重宝されて、就職活動には困らず数社から採用通知も頂けました。大手企業からも採用通知を頂いたのですが、面接時仙台勤務を希望したにもかかわらず採用は東京で。私は仙台から離れたくなかったので、仙台を本拠地とする会社に就職させて頂きました。仙台でもIT技術をやれればそれだけお金をもらえるような時代だったので。WEBデザイナーやプランナーをやっていた時は、IT業界がすごく活気づいていた時代でした。
―そんなにいいお仕事をどうして辞められたのですか。
働くうちに別分野の方々と交流が広がり、自分自身の視野を広げるために転職してみようかなと思ったんです。前職にはあまりこだわらずに、興味があった企画やマーケティングの仕事も視野に入れて探す中で、仙台のホテルでデザインや企画・マーケティングの募集がありました。ここなら自分の制作技術も生かせそうだと思い応募したところ、採用して頂きました。
―ホテルではどんなお仕事をされていたのですか。
自社ホームページや予約のシステムをつくったり、マーケティングリサーチをして、宿泊プランを企画したりしていました。自社だけでなく市内のホテル全体の動きやイベントなど、マーケティングすることによって見えてくる部分などがあり自分自身の新しい技術として多く学ばせて頂きました。そのホテルでは6年くらい働いて、アシスタントマネージャー(※ホテル用語:副支配人)や社内の委員会で委員長も務めました。26歳から32歳の頃です。
―組織の委員長にまでなって、とても活躍されていたと思うのですが、そこからパルックスに移ったのは何故だったのですか。
これもまた転機があって、それまでにも別のホテル様から一緒に働かないかと声が掛かっていたり、別業種からもお声掛け頂いていて。年齢も32歳になっていましたし、自分に自信がついた時期でもあったので、レベルアップのためにトライしても良い機会だと思いました。お声掛け頂いたところだけでなく、市場調査を兼ねてハローワークに行ってみたら、気になる会社がありまして。それが、【あかりのプロフェッショナル】と書いてあったパルックスでした。震災でライフラインを絶たれた経験をしてからというもの、夜の暗さの中に「あかり」があることの安心感を思い出し、自分の感覚を信じて面接を受けました、そしてその日の夕方に、「ぜひ一緒に仕事をしたい」との連絡を会社の取締役が直々にくれたんです。面接当日に私を必要だと判断してすぐに連絡をしてくれた。その熱意と誠意も自分の中で響きましたね。あれから4年ですが、入社して本当によかったと思っています。働いている人たちが本当に素晴らしいだけでなく、会社としての志に、従業員である私も尊敬の念を抱いています。
―パルックスに入社したときの職種は何だったのですか。
企画とシステムエンジニアです。入社して最初にやった仕事はパソコンの切り替えでした。他にも、ネットワークで全国25拠点にいる社員の情報やデータをサーバで集約するというシステムの仕事をしていました。
―現在のプロジェクションライティングやマッピングの仕事をやり始めたのはいつですか。
入社して1年経った頃、パナソニック様の展示会で、今までにない面白い投影機材を見たのがきっかけでした。比較的簡単な設備でプロジェクションマッピングの演出が可能になるもので、それを使って空間演出をやってみたいと思い、上司に提案したら「良いと思ったら挑戦してごらん」と。最初にやらせて頂いた企画は、閉館以前のマリンピア松島水族館で期間限定開催されたナイトアクアリウムのプロジェクションマッピング。水族館の方が、「好きにつくっていただいていいですよ」と言ってくださったので、演出ポイントを10ヵ所設置し、いろいろな技法を試せましたし、少し自信をつけることができました。次に、もともと弊社のお客様である生協様に演出の提案をしたところ、周りのスーパーとの違いを出したいということで採用して頂き、店内の演出をさせて頂くことになりました。
生協様では、現在多店舗で導入して頂いていて、宮城だけなく首都圏、広島、佐賀、青森と、どんどん広がっています。1年目は種まき的な感じでしたが、生協様が協力してくださったこともあって、3年目である今は徐々に芽を出してきた所ですね。
―みやぎ生協さんの演出コンテンツはどのようなものですか。
最初は、子どもたちが楽しめるコンテンツをつくって欲しいと言われたので、干支を映し出す演出をつくりました。干支なら毎年変わるので、「今年は私の年だよ」という関心を持ってもらえたり、干支を覚えるきっかけにもなるかなと思って。他にも、店舗で寛いでもらえるよう自然の感じを出したいというご要望もあったので、壁に窓を映し出して、その窓が開くと自然の風景が映し出される演出をつくりました。視覚だけではなく、鳥のさえずりや風の音、川の音で聴覚的な演出も加えました。その演出はお店の入り口近くにあるフードコートに施したものだったのですが、外から見える場所に人が集まって楽しめる演出があると、お客様が入りやすいにぎやかな空間になる。そういったマーケティングも勉強させて頂くいい機会になりました。
スペースプレーヤー納入事例「みやぎ生協 榴岡店」
―高山さんの場合は、手掛けた演出そのものが次のお客様への提案につながっていきますよね。
そうですね、演出したものを実際に見ていただくと一気に反応が変わって、「ああ、すごいね」と感じていただける。そこから興味を持っていただいて「うちだったらどんなことをやれるかな」みたいな話につながっていきますね。
※高山の「高」は、はしごだかが正式表記
高山 知矢
・1980年生まれ 宮城県仙台市出身
・東北工業大学高等学校(仙台城南高校)
・東北電子専門学校卒業
・株式会社パルックス 空間デザイナーとして活躍
クリエイティブ部門だけでなく、マルチの知識を活かしたソフトウェアのデザインと作成、プログラムやシステムの開発も行っている。また、設計や施工などハードウェア分野にも精通し、商品の開発にも携わっている。