ライターバトン -26- 「人間だもの、フラフラ生きてもいいじゃない」
仙台を中心に活躍するライターが、リレー形式でおくります。前任ライターのお題をしりとりで受け、テーマを決める…という以外はなんでもアリの、ゆるゆるコラムです。
人間だもの、フラフラ生きてもいいじゃない
普段は、取材をすることが多いので、こうやって自由に何かを書くという仕事は初めてです。何か特別な趣味を持っているわけでもないし、変わっていることといえば「働き方」なのかな、と思い今までの経験をお話しさせていただきます。
東京でのOL時代
もともと地元は仙台なのですが、就職で東京へ行き、中学受験塾で受付事務をしていました。「先生」という職業に憧れた時期もあったけれど、声も小さいし度胸もない私には無理だと早々に悟り、教育関係の事務職を目指しました。あとは、東京に憧れていて、とにかく東京に行ってみたかったのでした。
毎日、何かしらの事件が起こる塾の仕事はとても刺激的で、子供に本気で向き合って怒ったり褒めたり、時には一緒に泣いていました。
小学生にも関わらず、たくさんのことを知っている彼らは本当にすごい。
将来の夢は人を救うような仕事と書いてある作文をたくさん見て、日本の未来に希望を持てたし、大事な子供を守り育てる仕事に就けたことは誇りに思います。
休みの日には旅行やアウトドアを楽しみ、美術館やライブにもたくさん行って東京での楽しい時間を過ごすことができました。
転機は震災や親の病気
20代後半だったので、好きなことをするには最後のチャンスだと思って、京都造形大学の通信学部に入学し、家族のそばにいるために仙台へ帰ってきました。
私は学生時代、+81というクリエイターを紹介する雑誌を休み時間によく読んでいる、今思うと勘違いした意識高い系だった気がします…。映像作家の児玉裕一さんやアートディレクターの野田凪さん、NHKのテレビ番組「デジスタ」にもはまっていて、その頃からメディアアートやクリエイティブが好きでした。
だから、仙台に帰ってきて、行政・広告・Webとクリエイターさんと関わる仕事に就けたことは幸せなこと。今は、週休3日でWeb制作会社のディレクターをしながら、フリーランスでライターもしています。
仙台暮らし5年目で変化した働き方
人生の中で「大切にしたいもの」を考えて、いろんな人と話をして、理解してもらえたことで今の「働き方」になったと考えています。
フリーランスで働くことを考えた時もありましたが、Webの仕事をしたいという気持ちもあり、複業という形になりました。
Webディレクターは会社や商品の魅力をどう伝え、より多くの人に感動を体験してもらえるかを考えます。デザイナーやカメラマン、コピーライター、コーダー…ととにかくたくさんの人とクライアントを巻き込み、一つのものを作ることができるのがやりがいがあります。クリエイター好きの私としては尊敬できる人たちと一緒に仕事ができて、幸せな気分です。
ライターという仕事は、人との出会いやその土地の空気を感じて、感動し伝えることができるのが嬉しいです。正直、仙台のことは好きになれなくて、本当はどこかへ行ってしまいたい。でも、一生懸命なエネルギーの溢れる人たちに会うたび、取材する私が元気をもらい、もっと応援したいという気持ちでいっぱいになります。
未来のために誰かのために
今、もし「働き方」で悩んでいる人がいれば、もっとたくさんの人と話をして、行動にしてほしいと思います。私自身がいつも悩みの森に迷い込むタイプなのですが、イベントに出たりいろんな人と話すと思いがけないことがあります。世の中は意外と優しさで溢れているし、いろんなとこで繋がっていくのだと感じています。
フラフラ生きていても、未来のために誰かのために一生懸命なら、それでいいんじゃないかな。
次回
次にバトンを渡すのはTOHOKU360ライターの若栁 誉美さん。イベントの運営やほや唐揚げの販売、朗読ユニットでの公演、バンドの追っかけ…と何でもこなしてパワフル!いつも、会うたびに元気をもらいます。仙台のことに詳しいので、どんな話をしてくれるのか楽しみです。
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笠松 宏子 |Webディレクター、ライター
宮城県仙台市生まれ。東京で中学受験の受付のお姉さんを経て、現在は仙台のWeb制作会社に勤務。行政でのWebメディア企画運営や広告制作会社での経験を基に、フリーランスとしても活動中。まるまるまるもりプロジェクトでの起業家サポート、仙台のWebメディアで執筆など。