クリエイターインタビュー後編|小泉 俊幸(カメラマン)
いろんな人と関わりながら、一つのものをつくり上げたい。
地元仙台・宮城でフリーカメラマンの道を歩む小泉さんは、写真という形で物事を表現するとともに、写真を介して自分自身と向き合っているようでもある。そんな彼は、これからどのように活動しようとしているのだろうか。仕事への考え方や目標などについて、現在の率直な思いを伺った。
—専門学校卒業後は、どのように歩まれたのですか?
広告スタジオに入社しました。日々ロケやアシスタントをし、たまに撮影も担っていましたね。ただ、私生活に変化があり、1年2ヶ月で退職したんです。環境が変わるタイミングではありましたが、同時にいろんな現場を見てみたいという期待もありましたね。
—それで、独立されたわけですね。現在のお仕事についても教えていただけますか?
今はブライダルやイベントなど記録の仕事が多いです。あとはアシスタントですね。下積みの期間だと思っているので、積極的にいろんな現場に行かせていただいています。
—仙台・宮城をご自身の拠点とする理由を聞かせてください。
やっぱりカメラマンを志した経緯(前編参照)も含めて、自分が生まれ育った場所・環境でやることに意味があるのかなと。それから仙台・宮城では、仕事を得ていく上で、なんでも撮れるということが結構重要になってくるので、その点で学びが多いですね。東京だと動物専門、赤ちゃん・子ども専門というようにジャンルが比較的分かれていて、その道のプロの方もいらっしゃいます。一方、仙台・宮城では付き合いのある方々との関係性の中で仕事をいただくことがほとんどですし、ジャンルも幅広い。だからこそ、多様なニーズに応じていける能力が求められるというか。なんでも撮れるというのは、僕が思い描くカメラマンの理想像でもあります。
—すごくクリエイティブな役割だなと感じます。幅広い仕事に応じていくために、心がけていることはありますか?
当たり前のことでもありますが、なぜ自分がお願いされたのかを考えて、その中で求められているものを撮ろうとは思います。仕事外で写真を撮るときも、できるだけ他の人が目をつけないようなポイントを探しますね。センスを磨こうと「これは被写体になるかな」「この景色いいな」というふうに常にアンテナを張って。あと、何事も楽しんでやれる人って強いなと思うんです。物撮りが何十点もあって、夜中までかかっても笑顔で取り組んでいるとか。時間ギリギリの焦る状況でも新しい可能性を見出せるとか。僕もなるべく声を出したり、テンションを上げたりしようと努めていますが、どんな状況にあっても“楽しい”という気持ちを保てるのは、やっぱりすごいですよね。そういう姿を見ると、頑張らないといけないなと思います。
—ちなみに、そういった状況下で“楽しい”気持ちになった瞬間は?
学園祭感っていうんですかね。どうやったら目指すものが撮れるのかと煮詰まりながら、みんなでアイデアを出し合ったことがあって。「これでやってみよう」と試してみて、それがばっちりとイメージにはまってモニターに現れたときに、「いいじゃん!」となったんです。間違っていなかったんだと嬉しくなりましたね。あと、僕は後片付けをしている時間が好きで。全部終わってやりきった感じがして、ものすごく捗るんですね。スタジオで撮るとわりと大きなセットが組み上がるのですが、それがみるみるうちに崩れて無くなっていくのは見ていて気持ちがいいです。ちょっと脱線しますけど、僕、大学の頃からお笑いをやっているんですよ。
—意外です(笑)。
よく言われます(笑)。「ブリッツ」というトリオなんですけど、この前M-1グランプリの1回戦が仙台であって、それに通過して。今度は2回戦で東京に行ってきます(*1)。このときにも、ネタづくりをして実際に披露して、無事に通過できたという達成感がすごくあったんですよね。やっぱり僕はこういうプロセスが好きなんだなと実感しました。
*1…2019年8月11日に仙台会場での1回戦が行われた。東京会場での2回戦は同年10月の開催予定だが、本記事の掲載時点では出場日時および結果の詳細は未発表。
—ということは、カメラマンとお笑いの兼業になるのでしょうか?
僕の場合は、カメラマンという仕事があってこそお笑いができるという感じです。以前何回か、お笑いの事務所にお誘いいただいたこともあったのですが、当時はみんな就職が決まっていて。その後もしばらくは活動していなかったんですね。でも、今年はM-1に向けてやってみようかと。メンバーも、一人は自動車販売の仕入れと広報などをしていて、もう一人も介護職なので、仕事が終わってから夜に集まって。バランスを取りながら活動しています。
—おもしろいですね。ライフワークのような位置づけなのかなと思いました。
それに近いところはあるかもしれません。たぶんメンバーのふたりも、何をして生きていくと自分は楽しいんだろうかとか、そういう感覚があるのかなと思います。
—これからの目標はありますか?
いつかは広告カメラマンになりたいです。ディレクターやデザイナーの方など、いろんな人と関わりながら一つのものをつくり上げていく仕事がしたいですね。今アシスタントでお世話になっている方も広告カメラマンなのですが、現場にいると楽しくて。やっぱりいろんな困難がありつつも、チームでやるというのがすごく好きなんだと思います。もちろん、現在携わらせていただいているブライダルなども、大切な思い出を残させていただく仕事ですし、喜んでもらえているのかなと思うとやりがいを感じます。同じ写真の世界でもいろんな分野があって、その魅力はさまざまなのですが、中でも特に目標としているのは広告ですね。
—では最後に、仙台・宮城でクリエイターとして働きたいと考えている人に向けて、メッセージをお願いします。
自分がこの後どうなりたいかという目標を長い目で見据え、いろんなことを学んで、試しながら吸収する時間は大事なのかなと。クオリティの高いものをつくるためには、地道に自分の素地を築いていく必要があるというか。それは同時に、しんどさに耐える時間でもあるのかもしれませんが、これからの仕事に必ず生きてくると思います。
取材日:令和元年10月3日
取材・構成:鈴木 瑠理子
撮影:豊田 拓弥
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小泉俊幸
1991年宮城県気仙沼市生まれ、仙台市育ち。尚絅学院大学総合人間科学部表現文化学科、日本デザイナー芸術学院仙台校写真映像学科卒業。広告スタジオ勤務を経て、2018年よりフリーランスのカメラマン/アシスタントとして活動している。