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クリエイターインタビュー前編|谷津智里(ライター・編集者/Bottoms)

相手が大切にしている部分を、しっかり伝わる形にする。それが私のこだわりです。

ライター、編集者として、さまざまな媒体やプロジェクトを通し、地域の魅力や文化を精力的に発信してきた谷津智里さん。執筆のみならず、企画、ディレクションなど、幅広いジャンルで活躍されています。前編では、現在に至るまでの経歴を振り返るとともに、仕事に臨むうえで大事にしているものは何かをお聞きしました。

― 現在のお仕事を教えてください。

いろいろやっているので、説明するのが難しいですが、2021年の仕事だと、丸森町筆甫地区と気仙沼市の移住促進パンフレットやガイドブックの制作、丸森町の台風復興ポスターのコピーラインティングをしました。市民の方の発信をお手伝いする仕事も多くて、角田市の閉校する中学校の生徒さんと閉校記念誌を作ったり、名取市の地域ライター講座の講師をしたり、地元の白石市では地域の地図を住民のみなさんと作ったり。あとは仙台市荒町の市民団体が作るフリーペーパー「荒町さんぽ」にアドバイザーという立場で携わらせていただいています。また、21年6月に石巻市にできたみやぎ東日本大震災津波伝承館では、コンテンツの一部にあるインタビュー映像の制作に携わらせていただきました。

― 紙媒体だけでなく、映像の制作まで、幅広くお仕事をされているのですね。

映像のお仕事をするときは、私がインタビューを担当させていただいて、その素材を見ながら、どこを使ってほしいかや、音楽、字幕の指示出しなど全体のディレクションをさせていただくことが多いです。それと、現在進行形のものでは、仙台市市民文化事業団さんが「仙台舞台芸術フォーラム 2011→2021 東北」という、震災関連の演劇作品を再演したり、トークショーを開いたりする3年がかりの事業をされているのですが、その全体を冊子にまとめるお仕事もさせていただいています。単体でのライティングの仕事はあまりなくて、自分で媒体の編集をしながら、その中身の執筆やリライトも担当させていただくことが多いですね。

― ちなみに谷津さんは東京都出身ですが、どのような経緯で宮城に来られたのでしょうか?

東京にいた頃は、大学卒業後に出版社へ就職して、そこでは営業やホームページの制作などを担当していました。そのときに夫と結婚したのですが、夫の出身が白石市で、家業を継ぐために地元に戻るということになり、2008年に一緒に移り住みました。

― どのようにして、今の仕事を始められたのですか?

もともと、まちづくりや、その土地ごとの文化みたいなものには興味があったので、地方に来たらそういったものに関わる仕事ができるんじゃないかと期待感を持っていました。でも、引っ越したばかりの頃は、全く土地勘もないし、知り合いもいない(笑)。そこで、夫の家業というのが河北新報の販売所なのですが、店独自のフリーペーパーを立ち上げることにして、地域の人たちやイベントを取材して記事を書いて、読者サービスとして新聞に折り込むということを夫と一緒に始めました。そうすることで、人とのつながりも増えるし、自分も地域を知ることができました。

― そこから今の仕事にどのようにつながっていったのでしょうか?

フリーペーパーの仕事を始めてから2年後に震災が起きて、被災地に絵本を届けるボランティア活動に参加していました。そのネットワークの中に大河原のえずこホールの所長さんがいらして、東京都の文化芸術に関する被災地支援事業の現地事務局をすることになったので、スタッフになりませんか」とお声掛けいただいたんです。それで、最初はえずこホールの臨時職員としてその事業のコーディネートをさせていただいて、2013年からは個人で請け負うようになりました。その事業を通して県内の沿岸部のあちこちに行かせてもらって、だんだんと土地勘もつき、知り合いも増えていき、報告書の執筆や編集などをしていたところから他のお仕事にもお声掛けいただけるようになりました。

― どういったところに、今のお仕事の楽しさを感じていらっしゃいますか?

子どもの頃から、文章を書く、ものを作るみたいなことは好きでした。一方で「その地域がその地域らしくある」ためのお手伝いをしたいという気持ちもあったので、その手段として編集やライティングのスキルを使っている感覚です。それぞれの現場で頑張る人たちの思いを、つなぐべきところにつなぐ。そういう仕事をしたいと思っているので、読み手に伝わったと感じたときはとてもうれしいですし、県内のいろいろな地域で頑張っている人たちのお手伝いができることに、今はとてもやりがいを感じています。

― 仕事をしていて大変なこと、苦労などはありますか?

あるとすれば、仕事とプライベートの境目がほとんどないところでしょうか(笑)。でも、そんなに大変だとは思ってないですし、基本的に好きなことをさせてもらっています。「これはやりたくないな」と思うような仕事はあまり来ないので、楽しく仕事をすることができています。

― 仕事をしているときに一番大事にしていること、自分の信念などはありますか?

人であったり、地域の「肝」になる部分を、ちゃんと見つけて、伝わる形にするということですかね。だから、インタビューも私、長くなってしまいがちなんですよ(笑)。じっくりと話を聞くことで、人となりや特徴を捉えて、一番の魅力、伝えるべきところはなんだろうというのを考える。それをしないと、本当に伝えなきゃいけないことが、伝わらなくなってしまうので。相手が大切にしている部分を、しっかり伝わる形にするということは、自分のこだわりとして持っています。なので、相手との関係性に重きを置かずに撮れ高だけを求められるような仕事は苦手ですね。私は、地元のつながりの中で仕事をさせていただいているので、やはりインタビューをする相手の方にも、気持ち良く取材を受けてもらいたい。素材だけ撮りにいくのではなくて、「自分の話を聞いてもらう」という体験を、取材を通して相手の方にさせてあげたいし、「(谷津さんには)思いをちゃんと分かってもらえたな」と安心してもらえるようなインタビューにしたいと思っているので、その部分は仕事をするうえで、いつも気を付けるようにしています。

取材日:令和3年12月8日

取材・構成:郷内 和軌
撮影:はま田 あつ美

前編 > 後編

谷津智里(やつ・ちさと)/Bottoms

1978年生まれ、東京都出身。出版社勤務を経て、夫の故郷である宮城県白石市へ移住。翌年より地域の魅力を伝えるフリーペーパーを制作。東日本大震災後、地域の文化再生、コミュニティづくりに関わるプロジェクトに参加しながら、それらを伝えるパンフレットや書籍の編集・ライティングを行うようになり、現在フリーのライター・編集者として活動中。

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