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クリエイターインタビュー後編|谷津智里(ライター・編集者/Bottoms)

自分がやりたいと思ったことを素直にやっていけば、自然と道がつながっていく。そうした偶然の出会いや流れを楽しんでいきたいです。

ライター、編集者として、さまざまな媒体やプロジェクトを通し、これまで地域の魅力や文化を精力的に発信してきた谷津智里さん。執筆のみならず、企画、ディレクションなど、幅広いジャンルで活躍されています。後編では、東京出身の谷津さんだからこそ分かる、地方の素晴らしさ、可能性についてお聞きしました。

― これまで手掛けられたお仕事の中で、思い出に残っているものはありますか?

全部思い入れがあるのですが、人とのつながりの中で仕事をしているので、意外な展開が起きることもあるんですよ。そういう意味で言えば、2021年に手掛けた気仙沼市の移住ガイドブックは思い出に残っている仕事の一つです。実は私、このガイドブックで、「今日、あの海辺の街に出会う」というタイトルで小説を書いたんですよ。最初は普通に移住促進パンフレットを作りたいというご依頼だったんですけど、事前取材をして、いろいろご提案していく中で「きれいなパンフレットを作るだけだと気仙沼に住んでいる人の空気感が伝わらないから、小説にしたい」と言われて。実際の気仙沼の風景や、実存する人をモチーフにした物語を書かせていただきました。実は中学から大学まで演劇部で脚本などを書いていたので、過去の経験が思わぬところで役に立ちましたね。

― 地域を深いところまで探って、それらを世に発信する。谷津さんだからこそできる仕事ではないでしょうか。

そこには誇りをもって仕事をしているので、そう言っていただけてありがたいです。普段からいろいろな地域と接しているおかげで、取材のときも、その人に会うのは初めてであっても、周囲や背景のことは知っていたり、なんとなくわかる、なんてこともあります。この小説も、ありがたいことに「リアリティーがある」とか「気仙沼の人が書いたみたいだ」といった言葉をいただけたのですが、地域性や、その土地で暮らす人々がどんな気持ちでどんな生活を送っているのかを取材から察するのは得意かもしれません。なので、仮に東京から大手メディアの人が取材しに来ても、すぐには分からないようなところまで文章にして描けるというのは、自負としてありますね。

― 宮城に移り住んで10年以上が経ちますが、仕事をするうえで東京にいた頃とのイメージの違いはありますか?

私がこのような働き方をしているからなのかもしれませんが、たとえば東京では、会社に所属していると、その会社の名前のおかげでいろいろな仕事ができるけど、そこを離れちゃうと縁が終わってしまう、みたいなイメージがあります。それが地方だと、先ほど仕事とプライベートの境目があまりないと言ったように、仕事も、普段の生活も、全てがちょっとずつ絡み合っているような気がします。共通の知人とかが全部芋づる式につながっていくんですよね(笑)。東京にいたときは「あの会社の人」「あの仕事をしている人」といったドライな関係性になりがちでしたが、今は全体のつながりの中に居場所があって、自分が存在できているといった感覚がありますね。

― 東京から移住してきた身である分、地元の人が気付いていない地域の魅力もいろいろ発見されてきたのではないないでしょうか。

最近はすっかり宮城県人になっちゃいましたが(笑)、こっちに来たばかりのときに手掛けていたフリーペーパーでは、「東京から嫁に来ました」というタイトルでコラムをずっと書いていたんですよ。地方のこんなことが素敵だ、みたいなことをいろいろ書いていたのですが、地元の方々からは「ずっと当たり前だと思っていたことの素晴らしさに気付くことができた」というような言葉をたくさんいただきました。移住して発見したことの一つを例に挙げるとすれば、東京にいるときは「社長」という職業の人に会うことなんかまるでなかったのに、この辺にいるといっぱい社長さんに会うんですよ。もちろん東京に比べれば、会社の規模としては小さいけれど、従業員さんたちの生活を抱えながら、一人一人の幸せを考えて事業を切り盛りしている。その姿が、私はとてもかっこいいなと思ったんです。地方の人はよく「ここには何もない」と言いますが、決してそんなことはありません。もっと誇りを持ってもいいんじゃないかなと、常に思っています。

― 今後、仕事を続けていく中で、新たにチャレンジしてみたいことはありますか?

以前は、それなりに露出をしたり、積極的に自分を売り出したりしなければいけないんだろうと思うこともありましたが、仕事を続けていると、思わぬところで、自分のやってきたことが新しい仕事につながっていくことも多いと実感するようになりました。なので、最近は身を任せていればいいかな、と思うようになりましたね。無理やり広げようとするよりも、目の前の仕事を一つ一つ丁寧にやって、自分がやりたいと思ったことを素直にやっていけば、自然と道がつながっていくのかなと。そうした偶然の出会いや流れなどを楽しめればいいかな、って最近は思っています。

― 新たに何かを仕掛けるというよりも、今あるつながりの中でどんどん発展していくということですね。

そうですね。ちょっとずつ、人とのつながりが増えていけば、新しいことはどんどん起こっていくんじゃないかなと思っています。もちろん、やってみたいこと、面白そうだなと思うことはたくさんありますが、タイミングも大事なので、無理に何かを動かそうとするのではなく、普段からつながりを増やして大切にしていくことが大事かなと。そうすれば相乗効果で、仕事や活動の輪は自然に広がっていくと思うので。

― 最近は「地方創生」などの言葉がいろいろな場所で叫ばれていて、谷津さんのようなお仕事に憧れる人も多いはずです。先輩として、若者たちへのメッセージはありますか?

地域の仕事は、これができたら安泰、これができたら全部うまくいく、みたいなことはほとんどなくて、一つ一つの物事がゆっくりと育っていくのが特徴かもしれません。だから焦らないことが大事だし、焦らなくてもいいような環境は、したたかに作ったほうがいいかもしれないですよね。過程を楽しむことが大事だし、一つの仕事にこだわる必要もないと思います。違ったタイプの仕事をいくつも掛け持ちしてもいいし、「こうあるべき」という思い込みを捨てるのが大事なのではないでしょうか。

― 谷津さんも、執筆、編集、ディレクションと、幅広くやられていますもんね。

たしかにそうですね。だから、世の中の定義に捉われなくてもいいのかなと。私も最初は、自分が何者かが説明できない不安みたいなものがありましたけど、今となっては、それは思い込みにしか過ぎなかったなと。以前読んだ本の中で、とても印象に残っている言葉として「仕事をすることは、約束と信用の交換だ」という言葉があります。約束を果たすことで、信頼ができる。信頼ができれば、次の仕事につながる。どんなに小さな仕事でも、それを繰り返していけば、ちゃんと世界に根っこを張っていけるような気がします。そういう気持ちを大切に、これからも仕事を頑張っていきたいです。

取材日:令和3年12月8日

取材・構成:郷内 和軌
撮影:はま田 あつ美

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谷津智里(やつ・ちさと)/Bottoms

1978年生まれ、東京都出身。出版社勤務を経て、夫の故郷である宮城県白石市へ移住。翌年より地域の魅力を伝えるフリーペーパーを制作。東日本大震災後、地域の文化再生、コミュニティづくりに関わるプロジェクトに参加しながら、それらを伝えるパンフレットや書籍の編集・ライティングを行うようになり、現在フリーのライター・編集者として活動中。

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