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クリエイターインタビュー前編|HUNGER(ラッパー/GAGLE)

厳しい現状でも前向きに書き歌う。社会的メッセージをラップにのせて

仙台を拠点とするヒップホップグループ「GAGLE(ガグル)」のMC、HUNGER(ハンガー)さん。その活躍はライブ活動はもちろん、国内外のアーティストとの楽曲制作や中小企業との協働など、とても幅広い。約20年前のデビュー当時から活動拠点を仙台にかまえるHUNGERさんは、ヒップホップシーンに大きな影響を与え続けている。東京を拠点にせず、あえて仙台で活動しつづける背景には、どのような想いがあるのだろうか。前編では仙台で活動し続ける理由や、ラップを始めた当初から震災以降の創作活動への心境の変化などを伺った。

※GAGLE:DJ Mitsu the Beats、HUNGER、DJ Mu-Rの3人からなるHIP HOPアーティスト。仙台在住。1996年に結成。2001年「BUST THE FACTS」でデビュー。(GAGLE オフィシャルサイトより)

ーこれまでさまざまな活躍をされてきましたが、まずは現在の活動内容を教えてください。

リリックを書いて(作詞)、それをレコーディングして、ライブをするのが一つの活動です。あとは自主レーベル「松竹梅レコーズ」での活動、月・水・金の朝8時半からはインスタグラムライブも行っています。地元の中小企業と協働することもあり、プロバスケットボールチーム「仙台89ERS」の楽曲制作のほか、DATE FMの番組にレギュラー出演しヒップホップの楽曲とその背景を交えながらそれぞれの魅力を伝えています。仙台市花京院に新しくオープンした「OF HOTEL」では音響の配置なども担当させていただきました。

インスタグラムのライブ配信でHUNGERさんが愛用している「GO-MIXER」。

※GO-MIXER:スマートフォン専用のオーディオ・ミキサー

ーご出身は北海道とのことですが、宮城県に移ったのはどのようなタイミングですか?

北海道出身というと、どこか意を決して移ってきたイメージがあるかもしれませんが、僕の場合は全くそんなことはなくて。うちは転勤族だったので、幼い頃から3年に1回は住居が変わっていたんです。新潟や盛岡にも住みましたし、ずっと旅をしているような感覚です。高校3年間は岩手県に住んでいて、大学生になるときに仙台に移りました。先に1つ上の兄が進学して仙台に移り住んでいたんですよね。「同じ大学だったらいけそうかな」と思って、僕も同じ進学先を選んだんです(笑)。大学生から仙台に住んで以降、人生がガラッと変わりましたね。

※GAGLEのメンバーであるDJ Mitsu the Beats。

ーヒップホップとはどのように出合ったのでしょうか?

音楽には小さい頃から出合っていました。北海道って、車での移動時間がとても長くて退屈でしょうがなかったんです(笑)。車中では家族と会話をするか、ラジオや音楽を聴くかしかなかった。だから音楽を聴く時間は必然的に長かったんですよね。当時車の中で両親が聴かせてくれたのは、そのときに流行っていたポップス中心でした。なかでも子ども心に「いいな」と感じていた音楽が、のちにブラックミュージックとリンクしていったんです。

ー「この曲はいいね」と兄弟で盛り上がるうちに、どんどんのめり込んでいったんですね。

そうですね。日本のポップスやビルボードのトップ40に入るような曲から聴き始め、次第にブラックミュージックが面白く感じるようになったんです。ヒップホップにグンとハマったのは高校生のときですね。家から自転車で40分の距離にある高校に通っていたんですけど、道中アップダウンがあって移動が大変で音楽を聴いていないと辛すぎる。ラップにすでにハマっていた兄がお気に入りの曲を集めたミックステープを作ってくれ、通学中にそれをウォークマンで聴いていました。ヒップホップに洗脳されるにはもってこいの状況でした(笑)。

ーラップを好きで聴くところから、ご自身でリリック(歌詞)を書くまでにはどのような経緯があったのでしょうか?

先に仙台の大学に進学した兄が、そこで出会った友達とラップグループ「ORIGINAL COVER」を組んでいたんです。ノリ、イーシという2人のラッパーと、DJ Mitsu the Beatsの3人グループ。その1年後、僕が仙台に住む頃にはグループで音楽を作ったり、ライブをしたりする空気感がすでにできあがっていて。遊びで架空のラジオ番組を作ってテープに録音したり、ライブの練習をしたりしているのをみて「楽しそうだな」と思っていたんです。そうしたらノリくんが「お前もリリックを書いてみろよ。たぶん向いているタイプだと思うから」と誘ってくれて、まんざらでもなかったので実際に書いてみたら、みんなが「面白いじゃん!」と言ってくれたんです。かつて文化横丁にあったクラブ「DEPTH」でパーティーがあったときに「オープンしてすぐの時間帯だけどやってみない?」と誘ってもらえて、すぐにライブまで話が進みました。

ーGAGLEの楽曲「PRACTICE&TACTIX」のなかで「すべての始まりのルーツは大学在学中からの学習帳」というリリックがありますが、大学の授業中にもリリックを書いていたということですか?

そうなんです。ずっと書いていました。リリックを書くときはすごい形相で書くから、側からみると懸命に授業を受けているように見えていたと思います(笑)。大学卒業後は一度社会人になったんですけど、そのときも知らぬ間に自分の評価を上げてしまったことがあって。入社前に研修として工場を見学する機会があったのですが、そのときも僕の頭はリリックを書くことでいっぱいでした。だから研修中も真面目な顔でメモ帳にリリックを書いていたら、急に上司から「みんな見てくれ。彼みたいに真剣にメモをしている人じゃないとダメだと思うよ」と言っていて(笑)。自分がそのときに感じたことを忘れないように集中しているので、より真剣に取り組んでいるように見えるんでしょうね(笑)。

ー自分を表現することに「ラップ」という手段ができたことで、ご自身のなかで見える景色に変化はありましたか?

だいぶ変わりましたね。日常のなかで「これでリリックを書けるかもしれない」という視点で物事を見るようになったのも一つです。ただ、ストレートには楽しめなくなっているかもしれません。例えば映画。映画を見ているとインスピレーションがたくさん湧くから、鑑賞中も必ずメモをとって見てしまいます。名台詞や、そのときに感じたことなども書き留めておかないと自分が忘れちゃいそうでイヤだから、必ずメモ帳とペンを持って映画館に行くんですよ。暗闇のなかでメモをするから文字が重なることもあって、あとから見返して「なんて書いてあるんだろう」とわからなくなる場合もありますが(笑)。たとえ創作物に反映されなくても、自分の頭で後悔を残したくない気持ちが大きいですね。

ー上京せずに仙台を拠点にするのには勇気がいるように思うのですが?

正直、僕はそこまで固い決意をもっていませんでした。「東京と仙台、どっちで活動しよう」とずっと悩んでいたんですけど、DJ Mitsu the BeatsとDJ Mu-Rには全く迷いがなかった。昔から2人は「上京する必要なんてないっしょ」みたいな感じで(笑)。でも、その言葉には説得力もあったんです。僕の好きなヒップホップは、その土地でつくられるからこそ出る音も大切にしている側面があって。各地で意識や文化が違うし、仙台だからこそできる音もあるんですよね。僕が活動拠点に迷っていたのは、地域ならではのサウンドを追求する決断が曖昧だったからなんです。だから自分のなかに誓いを立てる意味でも「雪ノ革命」という曲をつくりました。自分の決断がどうだったのかは、自分の人生の最終的な結論になるんじゃないかなと思います。

ー最近は以前よりも楽曲の中で社会的なメッセージが多く発信されていると感じます。東日本大震災は大きく影響していますか?

間違いなく震災は大きなきっかけになりました。チャリティーソングとして制作した「うぶこえ」のリリックを書いたときは、自分のフェーズが社会的なメッセージを多く発信する流れに変わるだろうなと思いました。震災後の約12年を振り返ると、やっぱりその通りでしたね。言葉とリズムで遊ぶのもラップのいいところだけれど、「うぶこえ」を書いたその後は言葉遊びをしにくくなるかもしれないという感じがしたのを覚えています。

GAGLE – うぶこえ(See the light of day)

ー「うぶこえ」を発表するまでにはどのような葛藤があったのでしょうか?

「うぶこえ」を発表したときは震災から1ヶ月後くらいで「この状況で曲をつくっていいのか?」という雰囲気がありました。僕自身は無事だったぶん、震災とどのように向き合えばいいのか難しい部分があったんです。でも、MONKEY MAJIKのブレイズや彼の仲間たちと一緒に災害ボランティア活動をしたことで自分の中に変化がありました。ブレイズはボランティアが終わったあとにギター1本で歌うことがあって、みんなを楽しませている様子がすごくいい雰囲気だなと感じたんです。一連の出来事がきっかけで、いまの自分に見えている景色を伝えるのもラップにできることなのかなと思えるようになりました。

※ブレイズ/MONKEY MAJIK:「MONKEY MAJIK」は宮城県在住の4ピースハイブリッドロック・バンド。ブレイズさんはボーカルとギターを担当している。

ーラップがご自身の気持ちだけでなく、被災地の現状を伝えるのに合っていたんですね。

ラップは文字数が多いから、状況を描写しやすいんですよね。だからこそ「うぶこえ」という曲ができあがりました。厳しい現状でも前向きに書き歌う。全国から届くたくさんのエールに対しても、ラップにのせて返したかった。社会的メッセージを発する時は葛藤もするし怖さもあるけれど、いまは社会やコミュニティ、人生などに対する自分の考え方をどのように作品にしていくのかを発見しながら創作しています。自分が苦手かもしれない領域に新しく入ったとしても、そこに落ちている種を見つけて作品として発表しています。

 

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