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クリエイターインタビュー|小林 啓樹さん(前編)

仙台市青葉区の本町で、デザイン、撮影、アパレル販売、イベント運営などを行う株式会社OPEN TOWNの代表 小林 啓樹(こばやし けいき)さん。大学時代に東京の会社でインターンとしてストリートスナップの撮影を始めて以来、フォトグラファーとして活動を続けています。そんな小林さんに、会社設立の経緯や仕事のお話を伺いました。

 

─これまでの経歴を教えてください。

出身は仙台の八木山で、大学から東京に行きました。小中高とずっとサッカーをやっていて勉強は全然していなかったので、進学は考えてなかったんですけど、友達に「東京行こうよ」って誘われて、楽しそうだなと思ったので「行く行く!」っていうノリで東京の大学に進学しました。

入学して間もなく、ストリートスナップのファッションサイトを運営している原宿の会社でインターンを始めて、そこから写真を撮るようになりました。誰かに習ったとかではなく、ひたすら撮って体得していく感じでした。

その会社って、結構謎な団体で(笑)。スタッフがほとんどボランティアなんですよ。それが100人くらいいて、社長が1人…みたいな。で、毎日街に散らばって、おしゃれな人のスナップを撮っていました。

─インターン先は自分で見つけたのですか。

そのファッションサイトを高校生の時から見ていたんです。それで友達が最初にインターンで入って、誘われて僕も入りました。

─もともとファッションに興味があったんですか。

ちょうど高校生ぐらいから興味を持ち始めました。地元の友達がすごくおしゃれで、多分それに感化されたんだと思います。

─インターンからそのままそこへ就職したのですか。

20歳くらいの時に、社員になって働くことになりました。なので、その時に大学を辞めました。そこからさらに2年ぐらい働いたんですけれど、後半はあまり写真を撮ってなくて、100人のスタッフの管理や、サイトの更新を担当していました。

─大学を辞めることに、親御さんは反対しなかったんですか。

母親は怒っていたんですけれど、なぜか父親は怒らなかったですね。それまでもインターンばかり行っていて、大学にはほとんど行っていなかったので、そのまま続けてもしょうがないと思っていたのかもしれないです。学部は経済でしたが、結局知識も身に付けず、友達もできずに辞めてしまって。今考えるともったいなかったと思います。

─その会社を辞めることになったのはどうしてですか。

会社は複数の事業をやっていたんですが、ある日突然「ウェブ事業は終了するので、チームは解散」って言われて。月のページビュー数が200万くらいある人気サイトだったんですけど、終わってしまいました。それで僕も職がなくなってしまいました。

─そこで仙台に戻ってきたのですか。

はい。仙台で1年くらいゆっくりして、また東京に戻ろうと思っていたんです。

─東京に戻ったら何をやろうと思っていたのですか。

働いていた会社の社長ともう1回仕事をするのが目標だったんです。今はもう、その人がどこで何をしているのかわからなくなっちゃったんですけど。

僕、その人のことがすごく好きで。憧れもありますし、その人のおかげで今の僕があるので。振り回されることも多かったですけど、考え方とかが普通の人とは全然違って、とにかくかっこよかったですね。四六時中働いて、やりたいことやって。

好きな人と仕事をしたいと思っていたので、そのために東京に戻ろうと思っていました。

―でも今は、仙台でOPEN TOWNの代表をしている…。

そうなんです。仙台に帰ってきて、佐藤さん(※1)と出会って、ウェブサイトを一緒につくることになって。仙台市のクリエイティブプロジェクト助成事業(※2)を知って、出したら通って…。気が付いたら会社を設立していました。

 

1 グラフィックデザイナーの佐藤早紀さん。小林さんとともに2017年にOPEN TOWNを設立。
https://sendai-c3.jp/sc3_2021/creators/creator/saki-sato/

※2 仙台におけるクリエイティブ産業の集積・活性化を目的とした助成事業。小林さん、佐藤さんは、平成27年に企画したプロジェクトが採択。少しでも多くの若い世代が表現する場所、コミュニケーションをとる場所、自由に共創する場所をつくりたいという思いで、仙台フォーラスを会場にイベントを行いました。
https://sendai-c3.jp/sc3_2021/projects/highcolor/

─クリエイティブプロジェクトがきっかけで会社を設立したのですか。

そうです。それがなかったら多分、普通に東京に戻っていたかもしれません。

―それはすごいですね。

もともと、地方でウェブサイトをやりたかったんです。東京でうまくいかなかったし、地方だったらみんな優しくしてくれるだろうと思って。クリエイティブプロジェクトがすごく楽しそうだなと思ってやってみたら、こうなっちゃいました。

─佐藤さんとは、どこで知り合われたんですか。

仙台に戻ってから、デザイン制作会社に就職したんですが、佐藤さんもそこで働いていたんです。ある時「写真、撮れるんでしょう?」って感じで声をかけられて。僕がストリートスナップを撮っていたことを知って、「ウェブマガジンをやりたいから写真を撮ってほしい」と。きっと、安く頼めるだろうと思ったんじゃないですかね(笑)。

それで、ウェブづくりを手伝うことになって、それがきっかけで、独立したんです。はじめは「ハイカラ.H」という名前で2人で活動していて、同じ名前のウェブマガジンをやりながら、デザインの仕事をしたりしていました。

―クリエイティブプロジェクトは誰が見つけたのですか。

僕が見つけました。独立してすぐは、お互い好きなことをやる感じであまりお金が発生していなかったので、「そろそろ何か動き出そう」っていう話をしていて。それで「クリエイティブプロジェクトっていうのがあるから出してみようよ」って。

プロジェクトも成功して、本格的にやっていこうっていうことで法人をつくって「株式会社 OPEN TOWN」になりました。

OPEN TOWNのビルは立地もいいですし、スタジオやミーティングスペースもあって充実しているなと思ったのですが、どうやってこの場所を借りたのですか。

ちょうど、SC3のサイトに掲載されていた僕らの記事を見て、ビルのオーナーが連絡をくれたんです。それで「何か君たちおもしろそうだから借りない?」と、声をかけてもらったのがきっかけです。もともと空きビルだったんですけど、「改装するから入ってよ」と、オーナーさんがリノベーションまでしてくれました。

OPEN TOWNがある青葉区本町のイエロービル

─機材はOPEN TOWNを始める前から持っていたんですか。

いえ。始めるときに全部買って揃えました。自分でもよくこんなお金があったなと思います(笑)。一応、会社をつくるときに借金だけはしなかったんです。

─自分たちの場所があるというのは強みですよね。

そうですね。スタジオは貸し出しもしているので、個人の撮影や企業さんの物撮りで使っていただいたり、イベントスペースとして使うこともできるので、服の展示会の会場にしてもらうこともあります。

ただ、ここも始めて2年目になるので、単なるレンタルスペースとして以外に、もうちょっと何かできないかなとは思っているんです。

取材日:平成30年5月16日
聞き手:仙台市地域産業支援課、岡沼 美樹恵
構成:岡沼 美樹恵

 

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小林 啓樹

1991年仙台生まれ、八木山育ち。

2011年から東京でSNAPサイトにてストリートスナップを始める。
クラブ・ストリートなどで約2000人のスナップを撮影。
毎月200万PV獲得。むちゃくちゃな社長に振り回される。

2017年6月仙台本町に株式会社OPEN TOWN設立。
デザイン、web、撮影などの事業を開始。
趣味は働くこと。

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