クリエイターインタビュー後編|伊藤典博(デザイナー/合同会社スカイスター代表)
仕事をしていく中で生まれた地縁を、もっともっと膨らませていきたいですね。
東日本大震災から1年後の2012年に「合同会社スカイスター」を設立した伊藤典博さん。来年には会社を立ち上げてから10年の節目を迎える。今後チャレンジしていきたいこと、そして大切にし続けたいことは何か。これまでの活動を振り返りながら、将来の展望を伺った。
―震災から1年後の2012年に、同じくデザイナーの安保満香さんと「合同会社スカイスター」を設立されましたが、なぜ合同会社という形をとられたのですか?
前職の広告代理店では当然、いろいろな人の力があって仕事が成立するので、そうした経験をさせていただいた点も踏まえながら、独立後も自分以外の視点や、捉え方、対応面といった体制を考えました。そうした中で、いくつかのスタイルを検討しながら、最終的には自分たちのデザイン業務の内容や少人数でのメリット、当時の環境や希望なども考慮しながら、合同会社という形にしました。
―ちなみに独立後はどのような仕事が多いですか?
立ち上げの当初は、前職の会社や他の広告代理店さんからお仕事をいただいたりすることが多かったです。3年目ぐらいから、少しずつお声掛けしてもらえるようになり、とうほくあきんどでざいん塾(現:So-So-LAB.)さんにも企業さんとデザインマッチングしていただきました。今は直接ご相談いただく仕事が中心になっています。業種としてはどれかに特化しているわけではありませんが、目標や課題の整理から始まり、会社や商品コンセプトの可視化とロゴの開発といったヴィジュアルの核になる部分から、周辺のヴィジュアル整備、販促ツールなど、段階的な流れを考慮しながら派生していくこともあります。
―2人で仕事をすることでのメリットはどこですか?
やっぱり意見交換ができるのが良いところですね。それに、女性側の視点で考えたらどうなんだろうとか、ものを違った角度から見ることができます。1人が依頼いただいた仕事も共有して進めることで新たな気付きや発見も生まれますし、たまに自分が考えたプランでも社内のウケが良くなかったらあっさりやめたりすることもありますね(笑)。
―ちなみにスカイスターでは社員のほかに、クリエイティブパートナーとして2名が携わっています。
イラストレーターの島本剛さんは静岡在住で私が首都圏で働いていたときの同僚、コピーライターの高橋久美さんは東北支店に勤めていたときの先輩で、両名とも独立してからも仕事をお願いしたり、相談をしたりという間柄です。お客さんにとっては広報業務に携わらないと、こうしたクリエイティブの専門職の人たちと接する機会はなかなか少ないと思いますし、仕事を進めていくうえで分かりづらい部分もあるかと思います。ですから、社内で協力体制を深めることで、こちらがデザインをご案内する際に分かりやすく解説できますし、お客さんも専門家から丁寧なアドバイスを受けることで安心できる部分もあると思っています。お互いのスタイルを尊重しながら、バランスを考慮して、クリエイティブパートナーとしてお願いしています。
―ひとつの「チーム」として仕事をしている分、とても心強いのではないでしょうか?
それはもちろんありますし、いちばんはお客さんに喜んでもらえるのがうれしいですね。私ももちろんそうですが、自社のことや自分のことを上手に伝えるって、とても難しいですよね。お客さんと打ち合わせをする中で、ニュアンスは説明できるけど、実際に言いたいことを言葉でまとめるのは難しいよね、というケースは多々あります。そうしたときに、コピーライターが代弁してくれる、イラストレーターが絵に置き換えて提案してくれる。だから「え~、こうなるんですね!」と言っていただけます。お客さんだけでなく、私も発見や共感、驚きやユーモアのあるアイディアが生み出されるので、デザインメッセージに奥行きが出ますし、チームで創り上げるクリエイティブワークの醍醐味のひとつだと思います。
-ちなみに、今後チャレンジしていきたい、携わっていきたい分野などはありますか?
いろいろと思案している中で、実際に具体化したひとつに、学生時代から芸術学を勉強する中で美術と福祉、医療のマッチングという部分に、興味を持っていました。美術やデザインが持つ可能性だったり社会での役割を考察する中で、クライアントの方々とデザインを創り上げる一方、デザインの展開の可能性についても、新しいアプローチで取り組みをしていきたいという思いは心のどこかにありました。2016 年に仙台市と市民がともに問題解決を目指す、市民協働事業提案制度(※)に参加し、障害のある方が描いた絵を、取引先の仙台の老舗染物屋、武田染工場さんに手ぬぐいにしていただいて商品化し、八木山動物園で販売をしました。こちらは2018 年の全国障害者スポーツ大会の福井大会で宮城県選手団の行進フラッグにも採用いただきました。同じ年には再度、同制度に参加し、描いていただいた絵を楽天野球団の応援グッズとして商品化し展開しました。自分自身や自社でやれることは限られてますが、「デザイン×福祉×今まで関わりのなかったフィールド」といった掛け合わせで、何らかの新しい分野で地域へデザイン参加ができれば良いかなと思っています。そして、問題解決に向けた仕組みづくりや取り組みへのきっかけになるようなデザインができたらと思います。
※仙台市市民協働事業提案制度…地域の身近な課題について仙台市民の提案をもとに仙台市と協働で解決していく制度。団体の専門性やネットワークを生かし、仙台市とともに取り組むことで地域のニーズにこたえる事業。
-最近ではそのような取り組みも全国的にさかんになっているとお聞きします。
そうですね。たとえば「インクルーシブデザイン(※)」という、イギリスで生まれたデザイン手法があります。大袈裟ではありますが、デザインを通して、社会の役に立てたり、課題を解決したりすることができる。自分が関わっているデザインを転化することで、社会や未来にとってプラスになる事柄が生まれるかもしれないという可能性は日々の仕事の中で感じることがあります。また、できる範囲ですが臨床美術士(※)として、福祉施設や就労施設でクリニカルアートを通した活動を主に仙台市内でしています。まだまだ勉強中ですが、デザイナーとして、臨床美術士として、会社あるいは個人的にも何かしら取り組んでいけたらと思っています。
※インクルーシブデザイン…高齢者、障害者など、デザインプロセスにおいて従来は除外されてきた人々をプロセスの上流から巻き込み、多様な視点から新たなデザインを考える手法。
※臨床美術…絵やオブジェなどの作品を創ることによって脳を活性化させ、高齢化の介護予防や認知症の予防・症状改善、働く人のストレス緩和、子どもの感性教育などに効果が期待できる芸術療法(アートセラピー)のひとつ。医療・美術・福祉の壁を越えたアプローチが特徴。
-来年でスカイスターは設立10年目を迎えます。これからの意気込みや展望などがあればお聞かせください。
会社を設立してからずっと、仙台市若林区の卸町にあるTRUNK(クリエイティブシェアオフィス)に事務所を構えてきました。ここでは、入居するクリエイターがそれぞれの知恵や技術を持ち寄って、新しいビジネスモデルやライフスタイルの創出と、よりよい社会の実現を目指す、というコンセプトを掲げています。そうした考えはとても大事なことだと思っています。継続している活動のひとつとして、TRUNKに入居するカメラマンやデザイナーの仲間と共同で卸町の賑わい創出を第一に「どこでも写真館cuicui」というプロジェクトを主宰しています。卸町の地域のお祭りや、不定期ですが仙台市内の店舗やイベントに合わせて開館しています。おかげさまで、ご家族やカップル、お友達同士から赤ちゃんまで、たくさんの方が記念撮影にいらしてくださいます。規模や内容やアイディアはそれぞれに、そうした取り組みや楽しみ方が身近でもっと増えていけば、クリエイティブ分野も他の分野もお互いに盛り上がったり、助け合ったり、新しい関係が始まるきっかけになるのかなと思っています。また、クリエイター同士はもちろんですが、これまで拠点としてきた卸町の企業さんと一緒にお仕事をしていく中で、地域との縁も多く生まれています。そうした「地縁」が地域全体の中からたくさん生まれて、膨んでいけたらいいですね。
伊藤典博
1979年生まれ。静岡県三島市出身。日本大学藝術学部デザイン学科、同大学大学院芸術学研究科の修士課程を経て、広告代理店に入社。首都圏、東北エリアで勤めた後、2012年に合同会社スカイスターを設立。受賞歴少々。ロゴデザイン、イラストレーション、パッケージデザインなど、企業・行政・団体・教育機関などのさまざまなデザインの企画、制作を手掛けている。