Steve* inc.|前編:クリエイティブでお客様の「想い」を翻訳する
経営課題や社会課題の解決に、クリエイティブの果たす役割の重要性がますます高まっている現代。商品開発の際のパッケージや広報物などの見た目だけでなく、それが「未来にどのような影響を与えるのか」まで考え、企業の価値そのものを伝えようと顧客の想いに並走するクリエイティブカンパニーがあります。東京と東北の拠点に、合わせて約30名の社員を抱える「Steve* inc.(株式会社スティーブアスタリスク)」の代表取締役社長、太田伸志さんに、会社を立ち上げた経緯やクリエイティブにかける想いをお聞きしました。
クリエイティブで顧客の「想い」を翻訳する
―デザインやクリエイティブに関する仕事をするようになったきっかけを教えてください。
子どもの頃から絵を描くことやデザイナーの作品や本などを読むことが大好きでした。でも、生まれ育った宮城県丸森町には、当時は周りにデザイナーなどの職業の方はおらず、クリエイティブと呼ばれるようなことを現実的に仕事にできるという発想自体がありませんでした。
高校生になってからも、美大などを受験することの現実感も選択肢になかったのと、やはり生まれ育った自然豊かな環境が大好きで、あまり遠くへ離れたくなかったので、東北学院大学経済学部に進学しました。
ちょうどその頃、パーソナルコンピューターの普及が世の中で騒がれ始めていた時期で、ゼミでの研究テーマ「インターネットが普及したら社会はどう変化するのか」が、自分にとっての大きなきっかけだったかもしれません。スティーブ・ジョブズや、Appleという会社の哲学に大きな衝撃を受け、コンピューターの中で、何かとんでもないことが起きている気がしました。うまく言えないのですが、とにかく「とんでもないこと」です。
同じ頃、デジタルやAI、仮想空間に現実世界が飲み込まれるというストーリーの映画「マトリックス」を観て、「間違いない、コンピューターの進化が、この世界を変える存在になる」と確信したのも今でも覚えています。
―デザイナーを志す前に、まず、デジタル、コンピューターの存在がきっかけになったんですね。
はい、とにかくコンピューターの可能性に惹かれました。映画「マトリックス」でキアヌ・リーブスが演じた主人公・トーマス・アンダーソンの職業がシステムエンジニアで、それに憧れて在学中に独学でプログラミングを学び始め、卒業後に、システムエンジニアとして就職しました。
デザイン、経済学、システムエンジニアリング。その後の僕を支えてくれている要素が、偶然にも揃った瞬間だったかもしれません。
―就職後、クリエイティブの道への転向は、映画「マトリックス」でのモーフィアスのような存在との出会いなどがきっかけでしょうか。
いえ、就職先の会社には、モーフィアス(モーフィアスは作中にて、トーマスが世界を救う存在「ネオ」として目覚めるきっかけを与える存在)はいませんでした(笑)。
会社では、売上管理などの流通システムのプログラムを緻密に打つような着実な仕事が中心で、特別刺激的な仕事というわけではなかったです。システム設計やプログラムは、好きというよりは、単に得意なことで、そうした自分ができることで給料をいただき、それで好きなデザイン関連の書籍や家具などを買う。そんなふうに、仕事と好きなことは別々なのが普通だと思っていました。むしろ、別々に考えているほうが、人生はうまくいくんだと。
―好きなことを仕事にするきっかけとなった出来事があったのでしょうか。
社会人になって1年半くらい経った時、アメリカ同時多発テロ事件が起きました。テレビで見た映像が衝撃的で、あのビルにも好きなことではないけれど我慢して頑張っている人がたくさんいたのではないかと想像したんです。好きなことと仕事を分けていれば安心だ。安泰だと思っていても、突然人生が終わってしまうことだってある。であれば、好きなことがあるなら思いっきり探究すべきなのでは。そんな危機感のようなものを感じて、今すぐ好きなことを仕事にしなければと翌日すぐ、会社に辞表を提出しました。
―急展開ですね。その後会社をやめて、どうされたのですか。
さすがにすぐ会社を辞めるのは身勝手なので、その年度末まで在籍し、24歳の時に上京しました。今とは違って、デザインは東京にいかなければなかなか学べない時代でしたので大好きな東北を離れたくなかったのですが、東京に行くことだけは決めていました。とにかく決めたからにはやるぞという意志だけは強かったですね。
そうして何のあてもなく住み始めた東京で、たまたま映画会社でウェブデザイナーを募集していた求人広告を見て、これだと思ったんです。ウェブデザインならプログラムの経験を活かしながらデザインができるじゃないか!と興奮しました。映画好きもアピールしてなんとか採用してもらえました。
―その時まで、ウェブデザインの経験はなかったと思いますが、採用後、どう仕事に対応されたのですか。
とにかく自分で調べて、やってみての繰り返しです。上司にこんなことできる?と聞かれると、よく分からなくてもとりあえず「できます!」と答えて、すぐ本を買いに行って家に帰ってからそれを読み、実際にできるまで勉強して、翌朝、会社で「できました」と涼しい顔でこなしていましたが、実は毎日必死でしたね。
ウェブデザインという概念が生まれたばかりということもあり、当時は制作できる人材も少なかったおかげで、世界的に有名な映画のウェブサイトを一人で担当する経験などもでき、その後、そうして培った実績をアピールしてデザイン専門の会社に転職できました。
―単にウェブサイトを構築するだけでなく、人を惹きつけるデザインのスキルは別なように思いますが、そうしたスキルも独学で身に付けたのでしょうか。
とにかく現場での実践で学ぶしかなかったですね。当時の広告業界では、これからはインターネットをどんどん活用していこうという時代に差し掛かっていたものの、先ほども言ったように、実際につくれる技術を持つ人材が少ない状況でした。誰かウェブに詳しい人いない?という話があれば、どんな時でも、どこにでも行くようにしていました。
そんな日々を繰り返しているうちに、資生堂さんやソニーさんなど大手企業のウェブ広告の案件に関わらせていただけるようになりました。そのうち、ウェブサイトだけでなく、「ロゴもつくれる?」「コピーも書けちゃう?」「パッケージは?」「映像はさすがに無理だよね?」などと聞かれるようになり、とにかく「できます!」と答えて、必死にそうしたスキルを身に付けていく。お客様に会える機会があればどこへでも足を運び、何がこの仕事のポイントなのかを見極める。その繰り返しでした。
おかげさまで10年ぐらいかけてもの凄いスピードでスキルアップできたとは思いますが、当時、仕事以外に何をしていたのかという記憶はほとんどないんです。とにかく毎日必死で仕事仕事の日々だったなと。でも、上京してすぐに、デザイン学び放題ともいえる環境に身を置けたことはとてもラッキーだったと思います。
―常に顧客に向き合いながら必要なスキルを磨かれていたのですね。
そうですね。画面の前で制作物に向き合うだけではなく、そもそもお客さまがなぜこの仕事を依頼しようと思ったのかを掘り下げて聞くことは、デザインの本質を捉えるために重要です。
おかげさまで、徐々に信頼もいただけるようになり、広告プロモーションや、企業ブランディングなど、クリエイティブに関わるいろいろな仕事が広がっていき、所属会社の代表にもなりました。ですが、代表とはいっても株主ではなかったので、会社経営に関しては自分だけの判断でできないことも増えてきたんです。そこで「本当にクリエイティブと呼べる仕事をするには、株主からやらないと」と気付かされ、40歳の時に今の会社、Steve* inc.を立ち上げました。本当に多くの方の応援のおかげで、創業7年目ですが、社員と役員を合わせて30名にまで成長することができました。
―社名の由来は、アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏を意識されていますか?
はい、それだけです(笑)。やはり、僕にとってのヒーローですから。例えば、アップルが生み出したiPodは単なる高性能音楽プレーヤーというより、音楽そのものの価値を再定義したエポックメイキングなプロダクトだと思います。ポケットの中に何万曲という音楽を入れて好きな時に好きな曲を手軽に聴けるという環境は、明らかに人々の音楽に対しての考え方を一変させましたから。
僕たちも、そういった「価値観の再定義」を、クリエイティブを通して世の中に広めたいと思っています。ちなみに、「*(アスタリスク)」はプログラミングで掛け算の意味で、Steve* inc.という社名には、世の中にある、まだまだ「ひよこ」のような可能性に、僕たちが関わらせていただくことで、掛け算で大きく羽ばたかせたいという願いを込めています。
僕は、クリエイティブという仕事は、外側の見た目ではなく、「想い」を翻訳するものだと考えています。会社を立ち上げる、新しい商品をつくるといったことは、経営者や担当者の熱い想いがなければなかなかできることではありません。そんな大切な想いを抽出し、ロゴやコピーをはじめ、グラフィックや映像、プロダクトや空間など、目に見える形として世の中に翻訳して伝えていくことが僕らの役割だと思っています。
ただ目立つだけ、ただ格好いいだけでは足りないんです。Steve* incを立ち上げてからは、僕自身も、株主であり社長として、経営していくことの実状や大変さを経験してこれたこともあり、企業の経営者やブランドの担当者の方の話を伺いながら企業理念や経営戦略をより理解し、想い描く未来にどうやったら近づけるかという視点からクリエイティブを提案できるようになってきたのではと感じています。
おかげさまで、最近では広告プロモーションや商品開発だけではなく、経営者の方にも直接お話を伺いながら、企業理念の策定や人事研修や社内教育などのワークショップなどの依頼をいただくことも増えました。
また、企業さんからだけでなく、仙台市での市庁舎建て替えに伴う官民連携検討委員、丸森町では公式クリエイティブディレクターとして町村合併70周年記念事業に携わったり、地元紙・河北新報では、クリエイティブ視点での連載をさせていただいたりと、幅広くご依頼をいただいています。人の想いが関わらない場所はないので、どんなことにもクリエイティブは必要だと思っていますし、その価値を広めていく責任がSteve* inc.にはあると勝手に思っています。
―さらに、教育分野でも活動されていますね。
武蔵野美術大学や東北学院大学を経て、今は東北芸術工科大学でグラフィックデザイン学科とプロダクトデザイン学科の講師をしています。そうした縁もあり、東京・銀座の「Steve* GINZA OFFICE」に続いて、ここ山形市第一小学校の旧校舎をリノベーションした施設、やまがたクリエイティブシティセンターQ1(キューイチ)に東北初の拠点として「Steve* CREATIVE LOUNGE」を開設できました。
社員が働く場所や、東北での人材採用の拠点だけでなく、大学の授業で使用したり、東京からのお客様をお招きしたり、コミュニケーションを広げるリアルな場所としても活用しています。
教育分野では、最近は社会人向けのデザイン思考研修や、高校での授業、中学校や小学生向けのワークショップなどもご依頼をいただいたりしています。クリエイティブの話は、どんな年齢でもどんな職種でも役に立てることが必ず詰まっていると思いますよ。様々な分野で事業展開をしたり、様々な世代の方と普段から会話が多いおかげで、どこかで壁に当たることがあったとしても、全く違う業界での経験や、別分野だと思われている課題解決手法が、道を切り開くヒントになると気づいたんです。
(後編に続く)
前編/後編