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クリエイターインタビュー前編|小松大知(プロダクトデザイナー)

就職後はプロダクトデザインを取り巻く一連の仕事の成り立ちや進行を理解できたのは大きかったと思います。インターンシップや職場見学だけではわからない部分もありますし。

2021年6月に独立のため仙台市内へUターンされたプロダクトデザイナーの小松大知さん。前編ではプロダクトデザイナーを志すまでのエピソードや、大学卒業後の現場での経験から感じた気づきなどをお聞きしました。

― 直近の取り組みや、お仕事について教えていただけますか。

2021年6月に地元の仙台市へUターンし、TORCHという屋号でデザイン事務所を立ち上げました。現状、プロダクトデザインだけにこだわらず、グラフィックデザインの案件も承っています。現在は自宅を作業場にしていますが、2022年以降には地元にある元漬物工場だった倉庫を改装してデザイン事務所と古物店「用無用」を立ち上げる構想があり、現在準備中です。

宮城大学 デザインスタディセンター

2021年11月からは宮城大学の特任助教への任命もあり、今後は宮城大学のデザインスタディセンター内の「クリエイティブラボ(工房)」をどのように使っていくのか関係者と考えながら運用したり、学生への指導を行ったりして関わっていく予定です。

― ものづくりやデザインだけではなく、古物店の開店準備や教育機関との協働にも取り組まれているのですね。そもそもプロダクトデザインの道を志した経緯やきっかけのエピソードを教えてください。

中学校卒業後、仙台電波工業高等専門学校(現・仙台高等専門学校)の電子制御工学科に入学しました。ロボットや電気自動車の制御など、電子回路×プログラミングを学ぶような学科でしたが、自分のやりたいことはエンジニアじゃないかもしれないと感じるようになりました。研究室で数字や波形と睨めっこするより、そういった技術を応用したものをつくって、それが実際に使われている風景が見てみたいと思ったんです。

そういった経緯もあって、一時は「美容師もいいかな」など悩んだ時期もありました。その時期に小さい頃から美術や図工の授業が好きだったのを思い出しましたが、それに加えて高専で工学を学んだ意味も持たせたいと思って悩んでいたとき、プロダクトデザイナーという職業があることを知って。

― では、卒業後は。

工業デザインやプロダクトデザイナーという職業に深く関心を持ったため、2012年、東北芸術工科大学のプロダクトデザイン学科へ入学しました。他県にある美術大学への進学も視野にありましたが、2011年に発生した東日本大震災を契機に東北でものづくりを勉強したい、やっていきたいという気持ちが強かったので東北芸術工科大学に入学しました。結果的に芸工大で学ぶことができてよかったと思っています。

― 結果論として、当時の東北の状況を考えながら学ぶ環境に身を置けたのはよかったということですね。ちなみに、卒業制作はどんなものをつくられましたか。

紙素材を使った家具や雑貨を制作しました。具体的には、ベンチやスツール、ペーパーホルダーなどです。

当時家具業界で売り上げトップ3の企業の製品がどれくらい長く使えるのか調べたところ、そのほとんどが初期不良以降の修理サポートがなく、壊れたら終わりというのが当時の実状でした。使い捨てとなった家具は埋め立てで捨てられるので、環境負荷がすごく高いというのもわかりました。

特に成長の早い子供や一人暮らしの学生などが使うアイテムは、使用期間が限られているため、使い終わったら廃棄される確率は高いですし、リサイクルできる家具のありかたを考えたくて、紙素材を使った家具や雑貨の制作に取り組みました。

― すごい、購入から捨てられるところまで考えられている。どのようにスタディーや制作を進められたのですか。

卒業制作では、まず「実践に近いことをやりたい」という一心でした。実践に近いレベルでどれだけできるか悩んでいた時、大学の教授の勧めで山形県の包装資材(紙や段ボール・梱包パッケージ)を製作している企業を紹介していただき、新商品提案を課題ゴールに設定して素材や製造に関する研究・制作を行いました。企業の方とのやりとりや、工場や素材の制約などから結果的に先ほどお話しした紙素材を使った家具や雑貨に行き着いたんです。

― 大学卒業後は、関東で就職されていますよね。

大学卒業後は、神奈川県横浜市の富士ゼロックス(現・富士フィルムビジネスイノベーション)のデザイン部門やデザイン事務所での勤務を経たのち、長野県へ移住しました。

― プロダクトデザイナーとして着実にキャリアを積んでいったのですね。しかし、なぜ神奈川県から長野県に?

長野県に行ったのは、手仕事に立ち戻ってみようと思ったのがきっかけです。木工を学べる職業訓練校に通いたくて。そう思ったのも、自分のなかでものづくりをしている感覚が薄くなってきたのが大きかったです。

企業やデザイン事務所で数々のデザイン制作に携わることができてとてもありがたいと思う反面、パソコンに長時間向き合う時間も多くて。

実際に手を動かしてものをつくる・考えるという時間が少なくなっていくにつれ、学生時代に感じていた工業製品への興味関心が徐々に薄れていくのを感じたんです。むしろ、工業製品が持っていない、木工作家や職人の手仕事に魅力を感じるようになっていました。
また、職人の方などと仕事を通じて関わっている中で、現場視点での知識やアドバイスからデザインや構造を改善したことが何度かあったのを思い出し、ものづくりの現場や手仕事に立ち戻って、もう一度デザインを考えてみようと思ったんです。

― 手仕事に立ち戻るため職業訓練校に通われたとのことですが、どんなことを実際に学ばれましたか。

刃物を研ぐところから、鉋(かんな)やノミを仕込んだり、手加工だけで平面や仕口を作る手加工から、大体の木工機械を使った家具制作まで、…木工によるものづくりの基礎的なところは学びました。寮生活で、朝〜夕方までひたすら木工の知識や技術を学んでいるような感じでしたね。

訓練校で学ぶなかで木工の奥深さを強く体感し、「もう少しだけ木工の現場も味わってみたい」という想いから修了後は長野県内の古材を扱うベンチャー企業に就職し、オーダーメイド家具などのデザインと製作を担当しました。その後、2021年6月に地元の仙台へ帰って来たんです。

― 企業やデザイン事務所など、現場での経験を通して感じたことや気づきはありましたか。

もちろんたくさんあります。就職したばかりの頃は自分の至らなさを痛感していましたが、プロダクトデザインを取り巻く一連の仕事の成り立ちや進行を理解できたので、そこは大きかったと思います。インターンシップや職場見学だけではわからないような部分もありますし。

具体的には、人同士のコミュニケーションでひとつのデザインが成り立っていることを強く実感しましたね。ひとつのデザインにたくさんの立場や年代の方が関わっていることを自覚してからは、どのようにデータをお渡しして図面を書いたらいいのかなど、細やかな面にも気を遣えるようになったと思います。現場で経験を積むことで、「この数字は図面上では不要だな」などテクニカルな目線での調整や、ご年配の職人の方へ見せる図面の数字は大きく表記するなど、受け手に対する配慮ができるようになったことも大きな経験でした。

取材日:令和3年11月24日

取材・構成:昆野 沙耶(恐山 らむね)
撮影:小泉 俊幸
取材協力:宮城大学

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小松大知(こまつ・だいち)

1991年 宮城県仙台市生まれ。東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科を卒業後、オフィス機器メーカー(横浜)、デザイン事務所(東京・横浜)を経た後、長野県の上松技術専門校にて木工や家具制作の技術を学ぶ。古材ベンチャー企業にてオーダー家具や什器のデザイン・制作を行い2021年に「TORCH」 として仙台市にて独立。また、プロダクトデザインの歴史やルーツを学ぶ中で、世界各地の民藝や骨董・古道具などにも興味が及び、デザイン事務所の傍にて古物を扱う「用無用」を営む(2022年開始予定)。古い時代のもの達に学び、世代を超えて愛されるものづくりを目指している。

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