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クリエイターインタビュー|桃生 和成さん(前編)

宮城・福島・岩手で大学時代までを過ごし、現在は仙台で「一般社団法人 Granny Rideto 」の代表として、施設の運営や企画などに携わられている桃生和成(ものう かずしげ)さん。現在の仕事に至るまでの過程や、「仙台・東北でしかできないことをつくり出したい」という、熱い思いを伺いました。

 

―これまでの経歴を教えてください。

生まれは仙台なんですけど、幼稚園から高校までは福島県のいわき市で暮らしていました。高校時代にはサッカー部に入っていたんですが、強豪校で練習ばかりやっていたおかげで受験勉強が追い付かず浪人。それで、仙台の予備校に通い、結局2年かかって大学に入りました。

―大学はどちらに?

岩手大学の人文社会科学部環境科学課程です。正直その分野に関心があったわけではなくて、入れる学科がそこだけだったんです(笑)。環境科学課程は、環境問題をいろいろな視点から考察することを学ぶところで。例えばごみの問題を社会学や経済学的に捉えるとどうかとか、文化人類学的に、あるいは物理や化学の視点で捉えるとどうかとか。今思うと、その過程が、物事を多角的に見て考えるという訓練になっていたなと感じます。

―当時、大学での勉強の他に何か活動はしていましたか。

大学3年の頃から、「シネマ・ストリート・プロジェクト」という活動に参加していました。

同級生ばかりと過ごしていると、話題も広がらないし、考えていることも違ったりして、だんだん学内が窮屈に感じるようになってきていたんです。それで、大学の外で面白いことがないかと探していた時に、「シネマ・ストリート・プロジェクト」の活動を知りました。

盛岡の映画館通りと大通りの一帯を清掃する活動で、ゴミ拾いをすると、「C」という地域通貨がもらえるんです。その通貨はプロジェクトに賛同するお店で使えるので、自分がきれいにした商店街の喫茶店でお茶したりできる。環境だけじゃなく、経済や地域、いろいろな要素が組み合わせられたプロジェクトなんです。そして、その活動は学生だけじゃなく、映像の仕事をしている人や美術をやっている人、銀行員など、様々な立場の社会人も参加していたので、大学の中では出会うことができない人たちと、学生のうちに出会って交流できたことは得るものが大きかったです。

―その出会いは、大学時代の桃生さんにどんな影響を与えたのですか。

いろいろな大人に出会って、多様な働き方があることを知ったので、卒業してすぐに就職するっていうことに執着がなかったんです。なので、同級生が就活している様子を見た時に、正直疑問を感じていましたね。それで、まずは大学を出てから就職について考えようと思いました。それはきちんと研究をして論文を書くことだと思ったので、一番関心があったシネマ・ストリート・プロジェクトが取り組む地域通貨について論文にしようと、研究室を環境物理学から環境経済学に変えて、地域通貨の歴史や効果を勉強し直して論文を書き上げました。おかげで卒業が半年延びました(笑)。

―卒業後はどうされたのですか。

仙台に戻ってきました。卒業したのが秋だったので、就職は春になったら考えようと思い、それまでは、まちをぶらぶらしながら、仙台にはどういう場所があって、どんな人がいるのかを知ろうと思いました。ライブやブックカフェ、ギャラリーに行ったりしている中で、面白い人と出会うようになって。結果的に、その中の一人にお声がけいただいて、最初の就職先が決まりました(笑)。

―就活をせずに就職できたのですね。

通っていたブックカフェの店主の方と顔見知りになって、「桃生君。暇なら、こういう所で仕事があるよ」と紹介していただきました。そして就職したのが「特定非営利活動法人 せんだい・みやぎNPOセンター(以下NPOセンター)」というところです。

―どんなお仕事をするところなのですか。

一言で言うと、NPOを支援するNPOです。中間支援組織とも言われて、NPOが活動を継続・発展させる上で必要なネットワークを構築したり、資金やボランティアといった資源を仲介したり、さまざまな支援をしています。私は、NPOセンターが多賀城市から業務を受託して運営している「多賀城市市民活動サポートセンター」で働いていました。いざNPO支援に携わると、今まで知ることのなかった世界を知り衝撃を受けました。ホームレスの生活支援や、障害者・高齢者のケア、アルコールや薬物依存症の方の支援など、社会には様々な問題があって、それを支援する人達がいるということが非常に新鮮でした。そして、大学時代に自分が関わっていた活動もNPOの一つで、知らないうちにその世界に足を踏み入れていたんだなっていうことにも気が付きました。

NPOの世界で働きながら感じたことはありますか。

NPOの事が世間に正しく認知されていないなと感じました。よく誤解されるのは「NPOは非営利なのに何でお金をもらっているの?」みたいなこと。営利目的ではなくても、活動を行うための経費や人件費分は稼がなければいけないのですが、「非営利」イコール「無償」というイメージを持たれているので、イベント等で有料にした途端怪しまれてしまう。あとは、一部のNPOが不正をするとNPO全体が悪いように思われることもよくあります。企業なら、どこかの会社が不正をしてもその会社の評判が下がるだけで、民間企業全体が悪いってはならないですよね。

そんな誤解も含めてNPOの世界はまだまだ発展途上のところがあったので、これから自分が携わることでそれを変えていく力になれたらいいなと思っていました。

―そこから独立をされたきっかけは何だったのですか。

2011年に当時のNPOセンターの代表が亡くなってしまったんです。とてもカリスマ性のある方だったので、その人を失ったことによって組織が混乱し、停滞してしまった時期がありました。その中で、この組織を立て直したいという気持ちはあったのですが、実力と経験が足りなかった。それから、このままここに居続けるのかということを考えるようになって。悩んでいたのですが、そのうちそれがストレスになって体調を崩してしまうようになってしまったので、これを機に次の道へ進もうと思いました。

―それでつくったのが今の「一般社団法人 Granny Rideto」ですか。

そうです。NPOセンターで一緒に働いていたスタッフと一緒に独立して、法人をつくりました。

Granny Rideto(グラニーリデト)」は、エスペラント語で「おばあちゃんの笑顔」という意味なんです。私は祖母と二人で暮らしているのですが、おばあちゃんとかおじいちゃんになっても笑顔で暮らせる社会をつくりたいなと思って。

後付けなところもありますが、エスペラント語を選んだのは、宮沢賢治がその言葉を作品に使っていたことが理由です。私も一緒に立ち上げた人も大学時代を岩手で過ごしたので、東北を象徴するような宮沢賢治の世界観や精神みたいなものを大事にしたかったんです。

―独立という道を選んだのは、やりたいことが決まっていたからですか。

一つは出版です。出版の方法も一昔前と比べて多様化しています。震災を経て宮城や東北で生まれた新たな取り組みや生き方を出版を通して後世に残していきたいと思っています。

―現在はどんな仕事をしているのですか。

利府町の「まち・ひと・しごと創造ステーション tsumiki」という公共施設の運営や、仙台にあるシェア型複合施設「THE 6」のディレクターとして企画などを担当しています。前職のようにNPOの相談に応じる機会もあります。あとはNPOや行政などが発行する冊子の編集をしています。

リノベーションしたTHE6の外観
THE6の3階はコワーキングスペースとなっている
THE6の利用者交流会のようす

―お仕事の傍ら、大学院にも通われていると伺いました。

独立と同じ時期に宮城大学大学院に入学して、建築の勉強をしていました。

最近の建築界は、ハード面だけでなく空間のデザインなどといったソフト面にも関心が向いていると感じます。その逆で、私の仕事はソフト面(施設運営や企画)が専門ですが、公共空間はハードとソフトの両輪が効果的に機能することにより場の魅力が高まると考えているので、ハードのことも学ばなければと思い、大学院に入りました。

―どんなテーマの研究をされているのですか。

「公共施設の設計プロセスにおける運営への影響について」です。公共施設は、戦後の高度成長とともにたくさん建てられてきたのですが、利用者のニーズを考慮せずにむやみにつくられてしまったケースがとても多いんです。なので、施設があっても必要とされなかったり、人口が減ってますます利用率が下がったりといった問題を抱えています。そんな背景から、ここ20年程では、施設をつくるプロセスにおいて住民参加が重要視されるようになりました。きちんとユーザーの声を取り入れて施設をつくろうというわけです。そうした住民の関わりが、施設をつくる過程、さらには施設ができた後に与える影響を、tsumikiを事例にして研究しています。

ユニットハウスでできたtsumikiの外観

―住民参加が施設に与える影響はいいものが多いですか。

ニーズを把握したり、住民の関心を得るといった利点は多いと思います。ただ研究では、住民参加を最初から肯定せず、様々な視点で評価しようとしていて。ユーザーの意見を取り入れるべきとはいえ、専門家に任せるべきこともありますし、すべてを住民主体にやるのがいいのかという疑問もある。あとは住民参加にもいろいろな手法があるので、そこも考える必要があります。

最近はコミュニティビルドといって、施設の一部を住民がつくるというプロセスを通して新たなコミュニティを形成する手法もあります。この手法を導入することにより、施設ができる前からコミュニティができ、彼らがキーマンとしてその後の運営や利用に良い影響を与えてくれます。そういった様々な関わり方の中で、どの形がいいのかということも実践しながら考えています。

tsumikiのウッドデッキをつくる町民
tsumikiマルシェイベント時のようす

取材日:平成30年1月23日
聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)、岡沼 美樹恵
構成:岡沼 美樹恵

 

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桃生 和成

1982年仙台市生まれ、いわき市育ち。宮城大学大学院事業構想学科空間デザイン領域博士前期課程修了。大学時代、地域通貨とごみ拾い活動を組み合わせた「シネマ・ストリート・プロジェクト」に参加し、市民活動に出会う。2008年、NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター入職。多賀城市市民活動サポートセンター長を務めたのち、2016年退職。利府町まち・ひと・しごと創造ステーションtsumikiディレクター(2016年~)、シェア型複合施設THE6ディレクター(2016年~)、東北文化学園大学非常勤講師(2018年~)。

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