ミティーク(前編)菓子作りとコーヒーに魅了された兄と弟の歩み
若い女性を中心に幅広いファンを獲得し、メディアにもたびたび取り上げられる仙台の人気店「パティスリーミティーク」と「カフェミティーク」。パティシエの兄・土田俊也氏が手掛ける芸術的なケーキと、それに合わせてバリスタの弟・誠也氏が入れるコーヒーが、絵本の世界のような空間で供される。2人の織り成すハーモニーは今、空を超えて全国に響き渡っている。俊也氏が踏みだした第一歩から現在まで、15年間の道のりを振り返っていただいた。
菓子作りとコーヒーに魅了された兄と弟の歩み
−まず俊也さんがパティシエの道へ歩まれて、パティスリーミティークを出店するまでの道のりを教えてください。
土田俊也(以下、俊也) 私は山形市生まれで、学校を出て18歳で、料理人になりたいと市内のホテルに就職しました。元号が平成になる1989年のことです。洋食部門だったのですが、手が足りないということで製菓に駆り出されて、そこで菓子作りに魅力を感じるようになりました。
料理というのは肉でも魚でも野菜でも、素材そのものに味があって、それを加工しますが、お菓子は土台になる味がないですよね。粉末の、ゼロの状態から好きな味と形に変えられる。そういうところが面白いと思いました。
山形のホテルには1年ほどいて、それから十数年、仙台のホテルで働きました。そこで腕を磨いて十分に力が付いたかなと思い、2005年に35歳で独立しました。
−お店はどのようなコンセプトで立ち上げられたんですか。
俊也 ホテルのお菓子はホテルに行かないと食べられませんが、住宅地で気軽にホテルと同じ味を食べられる環境をつくりたいと思いました。ホテルでは結婚式や宴会など、その場で食べてその場でなくなるものばかりで、お持ち帰りについてはほとんど未経験だったんですが、あえてそこに挑戦しました。
この辺りにずっと住んでいて、駅が近くて住宅地でもあり、学校も近くて、出店するにも良いところだなと思っていたのでこの場所を選びました。2階にカフェを併設していることもあり、駅から若い人たちも来てくれますし、この辺りのおじいちゃんおばあちゃんも、学校帰りの子どもたちも来てくれるなど、客層はさまざまです。
−ご自身の菓子作りの特徴はどんなところだと思いますか。
俊也 ケーキの作り方は人それぞれですが、私は細工物をメインでやってきたので、繊細なものができることでしょうか。ケーキの味の土台に、プラスアルファの何かが必ず付くというところがほかとは違うかと思います。
最初に苦労したのは材料費の部分ですね。ホテルの場合は可能な限り良い食材を会社が買ってくれますから、それを好きに使えますが、自分で同じように買ってきて作ったら赤字になってしまいます。ですので、例えばメロンだったらグレードを少し下げたとしても、そこにリキュールを加えるなど、工夫して同じくらいの味に持っていく。そういう試行錯誤はありました。
−誠也さんがお店に加わったのはいつのことですか。
土田誠也(以下、誠也) 震災の年です。それまで神奈川と埼玉でエンジンの設計の仕事をしていました。
−すごい転職ですね。
誠也 本当に人生って何が起こるか分からないですよね。その頃からコーヒーを毎日5、6杯は飲んでいて、だんだん興味を持つようになりました。缶コーヒーからドリップコーヒーに移って、豆の種類によってまた全然違うというのが分かってきて、そこから淹(い)れ方、焙煎(ばいせん)と、どんどんコーヒーにはまっていきました。
やがてリタイアしたら喫茶店をやろうという野望を持っていたのですが、本気でやるなら若いうちの方がいいだろうと思って決断しました。それにはコーヒーのお供になるものも勉強する必要があるだろうと、兄にお願いして教えてもらうことにしました。
−ところが誠也さんが仙台に来てすぐに震災が起きました。直後の状況を教えてください。
俊也 目の前の東六番丁小学校が避難場所になっていたので、駅前のビルのお客さんたちが避難してきて、体育館がいっぱいになっていくのを見ていました。店の建物は半壊し、ガス、水、電気が止まって1週間ほど営業はストップ。ちょうどバレンタインデーが終わってホワイトデーに入る前だったので、作り置きや在庫品、粉物などの材料があり、作ったものを少し体育館に持っていくくらいしかできなかったですよね。
家賃も払わないといけなかったので販売もしながらだったんですが、今思えば全部あげればよかったんです。これは苦い思い出ですね。
−その時に買いに来たお客さんは、子どもを喜ばせようという気持ちだったんでしょうか。
俊也 あんまり詳しく話を聞くような状態でもなかったですが、あの時はみんな必死だったんじゃないですかね。あくまでも食料として。
誠也 どこに行っても食材が手に入らなかったので、ジュースやスナックや、なんとか手に入ったものを路面で販売していましたね。
−そうでしたか。その後、営業を再開してからは。
俊也 時間がたつにつれて、だんだんといつも通りの生活に戻っていきました。
−震災は思わぬ出来事でしたが、店としてはここまで順調に来たと。
俊也 いえいえ、やっぱり商売は水物ですから大変ですよ。上がるときは上がるし、下がるときは一気に下がるし。もう毎月、どうやって食べていこうかと言いながら必死にやっています。
オープンしたての頃は自分の腕に自信を持っていて、宮城で一番になろうとか、店の名前をどんどんアピールしていこうとかいう考えもありましたけどね。年数がたつにつれて、そういう欲はなくなってきました。こうしてお店を続けていられるだけでありがたいことだなと。
今は、若い子たちの育成とか、宮城の食材をいかに県外に発信するかとか、日本のケーキ文化をフランスにも負けないようなものにしたいとか、そういう方向性に移った気がします。
−そして10周年を迎えた2015年に、「カフェミティーク」を出店されました。こちらは誠也さんが営まれています。
誠也 兄から菓子を学びながら、カフェスペースでバリスタとして、ケーキに合うコーヒーを提案するという自分の武器を磨いていきました。それで10周年の節目を機に、一回勝負してみようかということで、店を持たせてもらいました。
俊也 私は私の、誠也さんは誠也さんの、それぞれ自分の色があるので、お互いに色を出していこうと。今は、それをだんだんなじませていって一体化させようとしている時期ですね。
Patisserie&Cafe MythiQue −ミティーク−
《パティスリー》
〒980-0004 宮城県仙台市青葉区宮町1-1-69
TEL&FAX:022-227-5851
《カフェ》
〒980-0021 宮城県仙台市青葉区中央2-4-11水晶堂ビル3階
TEL&FAX:022-393-7738
Artを、食で、クリエイトする。それが私たちの仕事です。
MythiQueは仙台を拠点にこだわりのSweetsとCoffeeを創りだすLab&Patisserie&Cafeです。
パティシェ(兄)とバリスタ(弟)“TSUCHIDA BROTHERS”が「食材王国SENDAI」をテーマに個性豊かな、私たちにしかできない商品作りを展開しています。
“大切なあの人に特別な想いを伝えたい”そんなあなたのお手伝いをするショップです。
思わずみんなが笑顔になってしまうような心温まる厳選商品だけをご提供。
職人が素材と技法にこだわってひとつひとつ丁寧に作り上げます。