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クリエイターインタビュー前編|太田 健裕(建築設計)

手仕事による丁寧なプロセスを大切に。

UIJターンで地元の宮城に戻り、この春から「太田設計舎」の主宰を務める太田健裕さん。建築、設計の魅力は一体どこにあるのか、事務所のあるTRUNK(※)でお話をうかがった。 ※TRUNK…若林区卸町にあるクリエイティブシェアオフィス。太田設計舎は6月より入居を開始。

 

―現在に至るまでの経緯をお教えください。

私は出身が石巻なのですが、地元の高校を卒業した後上京し、武蔵工業大学(現・東京都市大学)の建築学科に入学しました。その後、大学院の修士課程を経て、「手塚建築研究所」に8年間勤めました。今年の春に独立し、現在は「太田設計舎」の主宰として、仙台を拠点に活動しています。

―どうして建築設計の道に進もうと思ったのですか?

大学に入るまで、建築が特別好きだったというわけではありませんでした。ただ、実家が建設会社をしていたので、なんとなく影響があったのかもしれません。建築の分野が面白いと感じるようになったのは大学の途中から。何か大きなきっかけがあったというわけではないのですが、仲間や恩師との出会いや、好きな建築家の作品を見たり、文章を読み込んだりするうちに、だんだん魅力的だと感じるようになりました。少し興味を持ち始めてからは、知っている建築が圧倒的に少なかったので、わずかなお金の中で旅行に行くことは意識していました。

―この道に進もうと決意したのは、時間が経ってからなんですね。

そうですね。それまで自分では、絵が得意であるなど、特別な能力を持っているわけではないと感じていました。ただ、建築設計に関わる活動をしていくうちに、続けていきたいと自然に思えるようになりました。それはおそらく、アウトプットする場があったから。そこで初めて「自分はこれを続けていきたい」と気付くことができたんだと思います。建築設計においては、そうしたアウトプットをする機会、自身で確認できる機会が多くあり、そこは良かったですね。何の業種においても、まずやってみないことには、自分の気持ちになかなか気付くことができないのではないかと思います。

―学生時代はどのようなことを勉強されたのですか?

多くの建築学科の教育に共通する内容ですが、ある課題を与えられて、社会背景などさまざまな条件の中で建築を考察します。そして、模型や図面、CGなどを使ってプレゼンテーションし、意見を交わすトレーニングを行います。大学の外では、建築家の事務所に出向き、実際のプロジェクトの手伝いをさせてもらいながら学ぶこともありました。

―大学院の修士課程を修了後、手塚建築研究所に入社されました。主にどのような仕事をご担当されましたか?

入社して最初に担当したのが、地元である宮城の「あさひ幼稚園」(南三陸町)、「ふじ幼稚園」(山元町)、2つの園舎の設計でした。当時、日本ユニセフ協会が東北の被災した幼稚園や保育園の再建支援を行っていて、手塚建築研究所でこの2つの園舎を受注し、私もプロジェクトチームに配属されました。なので、宮城にはよく通っていましたよ。ただ、同じ県内の現場でも、南三陸町は岩手県寄り、山元町は福島県寄りなので、移動が少し大変でした。都内から始発で出て、最終の新幹線にやっと間に合う、といったスケジュールを繰り返していましたね。被災地の建設はスピードが求められたので、一日でも早く進行しなければいけません。あの頃は入社したばかりで、周りに付いていくのに必死でしたが、そのスピード感に触れることができたのは、今となっては良い財産になっています。

―地元の宮城に、恩返しができたのはないでしょうか。

そうであればいいですね。私が入社したのが、東日本大震災直後の2011年4月。その震災で、石巻にある母親の実家も被害を受けていて、そのまま東京で働いていても良いものかという気持ちが心のどこかにあったと思います。そんな中、入社してすぐのタイミングで、この園舎の建設の話が舞い込んできました。偶然ではありましたが、東京にいながら地元の力になれるチャンスがあったのは、働くうえでのモチベーションにもなりましたね。

【あさひ幼稚園の園舎】

―仕事をしていく中で、やりがいを感じるのはどんなときですか?

建築は、たくさんの人が関わって成り立つもの。実務を経験するたびに改めて感じます。例えば設計の中でも、意匠、構造、設備というパートがありますし、施工においては、小さな住宅でも細かく分けるとものすごくたくさんの工種が存在し、その職人さんたちがいます。私は特に、現場でのコミュニケーションにやりがいを感じることが多かったです。ときにはお互いの立場上、厳しいシチュエーションもありますが、実現したいと思うベクトルが同じであれば、建物としては必ずプラスの方向に進むと思います。これからも、建主、職人との手仕事による丁寧なプロセスを大切に、真摯に建築と向き合っていきたいです。

取材日:令和元年7月17日
取材・構成:郷内 和軌
撮影:小泉 俊幸

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太田健裕

1986年生まれ、石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、武蔵工業大学(現・東京都市大学)建築学科に進み、建築設計を学ぶ。その後、修士課程を経て、2011年4月に手塚建築研究所に入社。設計監理業務を担当し、南三陸町の「あさひ幼稚園」、山元町の「ふじ幼稚園」の園舎再建のほか、医療施設、個人住宅などの実務にあたる。今年3月に手塚建築研究所を退社。6月より新たに立ち上げた「太田設計舎」の主宰を務める。

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