クリエイターインタビュー後編|菅原さやか(グラフィックデザイナー)
お客さまが持つ熱い気持ちをデザインに落とし込む作業がとても好きです
東京での活躍を経て、現在は地元・仙台市の企業「株式会社コミューナ」のグラフィックデザイナーとして日々制作に向き合う菅原さやかさん。地域に貢献するために宮城に戻ったが、「お客さまと一緒に作れることが楽しい」と語る彼女が今の仕事に辿り着くまでには紆余曲折があった。後編では会社員を選んだ理由や仕事の面白さ、菅原さんが1番大切にしている仕事の軸に迫る。
ー地元への想いと震災が重なったことが強い意志につながっているんですね。では、東京で6年間勤めた会社を辞めるきっかけになった出来事やタイミングなどがあれば教えてください。
東京で勤めた会社ではデザインとディレクションの両方を経験できました。6年目というタイミングは、「自分はこれから何ができるのか」を考え始めてきた時期だったんです。このままずっと会社に居続けるとディレクションがメインになって、プレイヤーでいることが難しくなってしまうと感じていました。自分で手を動かして作る時間が少なくなっていることも気になっていて、自分が今の仕事に違和感を持っているのなら東京の会社を辞めて宮城に帰り、地元で仕事をしたいと思いました。
ー地元に帰ってからはすぐに株式会社コミューナに就職されたんですか?
一度は別の企業のインハウスデザイナー※として勤めていたのですが、半年くらいでその会社が潰れてしまって。急に働き先がなくなってしまったとき、ちょうどお世話になった先生から非常勤講師の仕事をいただいて、学生にデザインについてのお話をする機会がありました。そこで一緒に働いていた非常勤講師から、元So-So-LAB.コーディネーターの長内綾子さんと「Gallery TURNAROUND」オーナーの関本欣哉さんを紹介してもらい、その縁で仙台フォーラス7階フロア「the base sendai」のロゴ制作を担当させてもらえることになりました。ロゴを納品したタイミングで長内さんに「まだ就職先が決まらないんです」と相談したら、「ちょうどいま、若手のデザイナーさんを探している会社から相談があった」とのことで今の会社につなげてもらえたんです。フリーランスで活動する選択肢もありましたが、地元に戻って早々に勤めていた会社が潰れてしまったこともあり、宮城でのネットワークやつながりもなく足場が整っていないなかでフリーになる決心はできませんでした。そのため、まずは足場づくりをしたいという想いもあり、また、自由な社風に魅力を感じたのでコミューナに就職することにしました。
※インハウスデザイナー:制作会社やデザイン事務所ではなく、制作を手がけることは少ない事業会社内でデザインを担当する人のこと。出典:https://www.adobe.com/jp/creativecloud/business/teams/discover/inhouse-designer.html
ー現在の会社で働いてみて、以前勤めていた東京の会社との違いを感じたことはありましたか?
東京で働いていた頃は仕事の規模は大きかったものの、お客さまの声が届きづらい状況でした。もちろん、営業さんと一緒にお客さまのお話を聞くこともありました。でも、売上のために「いかに効率的に仕事を進めるのか」のほうに重点が置かれていたので、営業さんが案をまとめたり、ときには削ったりする場面もあり、「何のためにデザインをやるのか」が見えてこないこともありました。今は直接お客様とお話をさせてもらって、すぐに現場や生産地を見にいくこともできるので、より密接な関わり方ができています。
ー実際に手掛けられた制作物にはどのようなものがありますか?
同じ会社さんでも、大学へのリクルート向けに制作したものもあれば、ブランドのためのツールやカタログもあり、その都度、用途や目的に沿った上で、お客様の希望や想いを汲んで制作しています。お客さまの要望や希望、価値観、困っていることをそれぞれお聞きして、解決策の一つとしてデザインという形にできることや、密接にやりとりできることが今はとても楽しいです。
ーなるほど。反対に、仕事をしていて辛いことはありますか?
イメージをうまく落とし込めない時です。どこか全体の調和を乱しているようなものを作ってしまったときは「あぁ、だめだ。ゴミを作ってしまった」と思います(笑)。そういうときって、大体は自分の中のイメージに対する道標がないまま、ただ追われて手を動かしてしまっているときなんです。そんなときは闇雲に手を動かすのをやめて、スタートラインに立ち直すようにしています。それでもどうしようもないときは、まだ自分が聞き出せていない何かがあるんだろうなと思うので、お客さまともう一度お話をさせてもらったりしています。
ーお客さまとお話をするときはどのようなことに気をつけているのでしょうか?
お客さまの商品やサービスに対する気持ちを聞き出すようにしています。普段はお客さまがおっしゃった言葉をメモしながらヒアリングするのですが、お話の内容を自分なりに噛み砕いて、そこからまたアンテナを張り直します。制作する上で、見た目についても大切ですが、それよりもお客さまが「どのような気持ちでこの商品を作ったのか」を聞きだすのがより大事だと思っています。色々深掘りしていくと、お客さまそれぞれにとても熱い気持ちがあるんですよね。その気持ちを軸にデザインの方向性を考えていくことを、大切にしています。
ーお客さまの気持ちをどうしても聞き出せなかった場合、どのようにして対処していますか?
できるだけ多くのデザインパターンを提案するようにしています。お客さまも多忙で、内容を詰めきれていないタイミングや部分があるかと思うので、こちらからイメージを絞っていけるようなものを用意します。その時その時でやり方を変えてみるなど、提案することを心がけています。
ー菅原さんが仕事に行き詰まったとき、どのようなことをしてリフレッシュしていますか?
私は文字が好きで、特に描き文字看板や切り文字看板に目がないんです。古い看板を見るのもすごく好き。描き文字看板が収集されている本『タイポさんぽ―路上の文字観察』(誠文堂新光社)や『現代図案文字大集成』(青幻舎)は、仕事の参考にすることはあまりないのですが、疲れたときにパラパラと眺めては「かわいいな〜」と癒されています。仕事で疲れたときにしっかりとしたデザイン書や資料を読もうとは思わず、眺めてもすぐに閉じてしまう。その点で『タイポさんぽ』や『現代図案文字大集成』は漫画を見るような感覚で眺められます。仕事の参考にもしているのは、書体制作の会社が作成した冊子です。昔、先輩からいただいたものなのですが、事例集として以外にも、本自体のレイアウトが自由で面白く、参考になります。
ー東京から仙台市にUターンして、何か気づいたことはありますか?
東京と比べて、仙台はもちろん、東北自体がとても大らかで働きやすいです。お客さまと親しい関係性を築くまで時間はかかるかもしれませんが、打ち解けるととても親身にしていだたけるので、とても心地良いです。ただ、行政が関わっているロゴをはじめ、イベントなどに対しても遊び心があればいいのになと感じるときはあります。物事にもう少し柔軟性のある考え方や取り組みがあれば、より豊かなまちになっていく気がします。
ー最後に、クリエイターを目指す人にメッセージをお願いします。
クリエイターを目指すのなら、色々なものを観察しておくといいのかなと思います。仙台高専の非常勤で授業をさせていただくときなども、観察することの大切さについては学生さんたちにも伝えていることです。「道を歩いているときに看板を見る」など、特別どこかに行かずとも普段生活しているなかで何かを観察すること。ものがどのように配置されているのかを注意して見る癖をつけておくと、グラフィックデザインに関わらずクリエイティビティの引き出しがどんどん増えるんじゃないかなと思います。無理に興味を持つ必要はありませんが、観察を習慣づけることは自分に表現の引き出しを増やすことにつながると考えています。
取材日:令和5年2月13日
取材・構成:佐藤 綾香
撮影:横塚 明日美
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菅原さやか
1991年宮城県仙台市生まれ。仙台高等専門学校情報デザイン学コース卒業。
東京のデザイン・印刷会社でデザイナー勤務を経て、2020年に仙台へUターン。
紙媒体をメインに、仙台や東北に関わるデザインの仕事をしています。