私と「縁」
「サボっときは椿の下がいいんだよ。おりゃあ、昔からそうしてる」。数年前、仕事でお世話になっていた島の漁師さんに教えてもらったとっておきの逃避話を、お守りのように持ち歩いている。
大学を卒業してすぐ、仕事で島に通っていた。今よりも未熟で、右も左もわからずの日々に、たくさんのことを教えてもらっていた場所だ。島には小さな頃よく海水浴に来ていた浜があり、民宿に泊まった夜は布団に入ってからもまだ寄せては返す波を感じてはしゃいでいた思い出がある。
仕事で無人島に船を出してもらい、岩に飛び移ろうとして服を着たまま海に落ちた日。慣れない運転で買ったばかりの車を防波堤にぶつけた日。学校帰りの小学生に気になっている子の名前を教えてもらった日。今はなくなってしまった集落のかつての風景をみんなで歩いて辿った日。自分の至らなさに落ち込んだ日と、鼻水をすすりながらダウンを着込んで内湾に浮かぶ船に乗り、棚から引き揚げたばかりの生牡蠣を割って海水共々吸い込んだ日がある。その日の漁師のおっちゃんは「これ食えば、風邪治る」と得意気だった。
お世話になった島を立つ日、おっちゃんが持ってきてくれたのはチューブにぱんぱんに詰められた牡蠣のむき身だった。無骨な花束のようなそれを片手で持つと、それだけで滋養強壮、みなぎる力を感じる。毎週のように通うことがなくなっても、疲れた日はなんとなく、椿咲く風景と牡蠣のチューブを思い出している。
何もできず動けなかった日々があった。頭の中で車を走らせる。海岸から少し内陸に移った場所にあたらしくできた復興道路。島が見えてくる。この時期は北西からの風が冷たく乾いて、潮っぽい。身近な人たちやかつての出来事、そうしたつながりに助けられて、寝転ぶだけの日がある。
Illustration = 是恒さくら(これつね・さくら)
1986年広島県生まれ。2010年アラスカ大学フェアバンクス校卒業。2017年東北芸術工科大学大学院修士課程地域デザイン研究領域修了。日本の東北地方や北米各地の捕鯨、漁労、海の民俗文化を尋ね、リトルプレスや刺繍、造形作品として発表する。リトルプレス『ありふれたくじら』主宰(Vol.1~6既刊)。近年の主な個展「N.E. blood 21: Vol.67 是恒さくら展」(リアス・アーク美術館、2018年)。
Writer = 鈴木淑子(すずき・しゅくこ)
文化施設や大学事務局勤務を経て、現在は宮城を拠点に活動。印刷物やウェブサイトの執筆・編集、プロジェクトのマネジメントなどに携わっています。