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ライターバトン -29- 「類語辞典を頼りに、事実と格闘」

仙台を中心に活躍するライターが、リレー形式でおくります。前任ライターのお題をしりとりで受け、テーマを決める…という以外はなんでもアリの、ゆるゆるコラムです。

類語辞典を頼りに、事実と格闘

「言葉を、置く」。取材をしてそれを記事にして発信するようになってから、意識するようになりました。私にとって、文章を書くという行為は言葉を置く作業の繰り返しです。置くと表現したのは、事実を表現する言葉は常に置き換えの可能性があり、絶対的な定着はあり得ないと思うからです。さもあるべきと、迷いなく置けた言葉こそ要注意。その言葉を疑うことから、改めて取材対象の観察が始まります。

その時頼りになるのが、類語辞典です。取材の様子を反芻しながら、置いてみた言葉に類する言葉をたどって、最もふさわしいと思える表現へとにじり寄っていきます。ひとつの表現に何日もかけることもあります。こんな面倒なことを繰り返すので、取材記事を書くということは私にとって一大事です。書き終わった後はかなりヘロヘロ。そもそも原稿に向き合いたくない時だってあります。「ああ、めんどくさい」

でも、大事なこと、必要なことなのです。取材というものをはじめて間もないころ、インタビューを録音したものを聞き直してゾッとしたことがあります。一歩引いた視点で客観的にインタビューを聞き直してみると、現場では理解していないこと、捉えられていないニュアンスがたくさんありました。こんなにも自分は人の話を聞いていないのか、理解していないのかと、録音の中で分かった風に「うん、うん」うなずいている自分をひどく恥ずかしく思いました。

少なくとも自分にとって取材とは、理解と共感と、それより大きな無理解と誤解です。目の前の事実の、自分の共感が及ぶ部分だけ、気持ちの良い部分だけを優先的に取り込んで、かみ砕いて理解しているに過ぎません。分かったつもりでひとつの言葉を置くことで、私の想像の至らないその他のあらゆる可能性、多くのニュアンスを排除しているのです。だから、自分の内面からは出てこない言葉へと手を伸ばしてみる必要があると思っています。

自分の中から出てくる言葉を疑い、類語辞典を開くことは、自分の中に新しい考え方を切り開いていく行為でもあります。私たちは多くの経験を重ねる中で、考え方のパターンを作り上げています。もっと的確な表現はないか、細かなニュアンスを伝える表現はないかと、類語の枝葉を伸ばしていくことは、その考え方のパターンを迂回することです。ふと、それまで自分の中になかった考え方に行き着くことがあります。取材の現場では見えなかった新たな切り口が見えることもあります。

言葉も文章も、自分の中で変化していくべきだと思っています。定着を良しとせず、新しい表現へと手を伸ばさなければと。いつか類語辞典を開くのが億劫になった時、取材もやめるべきだと思っています。

次回


『類語辞典を頼りに、事実と格闘』の最後の文字、『う』のバトンを渡すのは、フリーライターの渡邉貴裕さんです。渡邉さんの文章を読むと、ハッとさせられます。言葉が至らない窮屈さはありますが、自らの言葉を尽くすという一途な態度に文章が貫かれているのです。
私たちはいわゆる「上手さ」にこだわってきたけど、例えば「TikTok」でプロがドヤ顔の動画をアップしてもドッチラケなように、時代はもっと「生」のものを求めていると思います。そんな今、渡邉さんが書くものにとても期待しています。

相沢由介

2016年、取材・編集・流通まで全て独りで行うフォトドキュメンタリーマガジン「IN FOCUS」を立ち上げ、様々な取材を続けて来た。カメラマン、ライターとしても活動。また、企業や地方自治体のブランディングやプロモーションの企画立案・運営やディレクションも行なっている。

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